私たちが普段何気なく食べている塩。スーパーでも安く売られているので、そこまで貴重なものという印象はありません。
しかし、昔は現代ほど精製や運搬が容易ではなかったことから非常に貴重なものであり、中国の古代王朝も財政が厳しくなると塩を独占販売することで国庫を潤わせました。
そのため、商人が塩の売買をすることは密売にあたり、時代によっては非常に厳しく罰せられることもあったわけですが、財神として祀られている関羽も塩の密売をしていたという説があります。密売と聞くと悪いイメージがありますが、なぜそのような説が生まれたのかを考察しながら、この説を否定してみたいと思います。
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関羽の密売人説
関羽の出身地である現在の山西省解州は「解池」と呼ばれる塩湖があり、面積も塩の産出量も中国最大でした。春秋時代は解州の塩だけで国家の歳入の8分の1を占めたと言われるほど。そんな金のなる木がある解州では塩の密売をする人も少なくありませんでした。若かりし頃の関羽もその一人で、密売人の元締めだった、あるいは護衛役をしていたとも言われています。
関羽が密売人と言われる理由
正史における関羽の冒頭の紹介には「涿郡に亡命してきた」とあります。
つまり、亡命をしなければいけないほど悪いことをしたという点から人を殺めた、あるいは塩の密売をしたと考えられているのです。人を殺めたというのは義理人情に厚い関羽が、人のために悪徳な役人を殺したという民間伝承が多々あるのですが、多くは後世の創作と考えられます。
密売に関しては後漢末期に飢饉や政治腐敗で飢えに苦しむ民衆が多く、塩が大量に採れる解州では密売する人も多かったであろうという時代背景から関羽もそれに加わっていたと考えられています。
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国家による塩事業の起源
古代中国において国が塩に関わる事業を行ったのは周王朝からと言われています。周の軍師であった太公望が封建によって海に面した現・山東省あたりに斉国を建てた際、農業に不利な立地であったことから、漁業と塩の精製で財政の安定化を図りました。ただ、当時は民間による塩の販売は制限されておらず、あくまでも歳入増加のために取り組んだという程度です。
その後、春秋時代の斉国において宰相であった管仲が民間で生産された塩を国が大量に購入し、それを各地で売買するという手法を採ったことで大きく成果を上げていますが、この時点でも民間の商人たちは自ら販売する権利を持っていました。
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政府による塩の専売
本格的に専売を始めたのは秦国において商鞅の変法が行われた後からと言われていて、塩官や鉄官という専門の役職を設置して塩と鉄を独占販売しました。ただ、これには異論もあり、正式に専売をしたのは前漢時代からとも言われています。
前漢の第7代武帝は大規模な匈奴遠征を繰り返し、国庫が枯渇。政府は財政難解消のために全国的に塩と鉄の専売を開始し、巨額の収益を獲得しました。
具体的には民間に道具の提供を行って塩を生産させ、それを国が買い取るのですが、私的販売は一切禁止であったために民衆は困窮。儒家たちから国が利益を貪るのはおかしいという批判が上がるも大きな改善は見られないまま前漢は滅びます。
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