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この記事の目次
後漢末期の塩の専売
後漢時代の初期は専売ではなく民間での販売を許可していましたが、第3代章帝が再び専売を復活させており、自ら安邑にある塩池の視察を行っています。しかし、続く和帝の代になると民衆が飢えたために税収が減っているという上奏があったことから正式に専売を撤廃。
民間での販売を許可し、そこから税金を徴収する方式に変更しました。
その後、三国時代になってからは蜀漢で塩官が復活するなど国営化が進められていきますが、少なくとも後漢末期は専売されていたわけではなく課税するという方針だったようです。
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関羽は密売人ではなく脱税者?
前述したように後漢時代は民間による塩の販売は許可されているので、販売をしても密売にはなりません。違反をするとしたら税金を支払わない脱税のはず。ちなみに塩の密売をした際の刑罰は時代によっても異なりますが、一番重いものが五代十国時代の打首。
基本的に密売をした量によって棒叩きや財産没収、投獄など刑の重さが変わる量刑方式でした。しかし、脱税の罪はそこまで重くありません。前漢の武帝時代は密告方式で脱税者を報告させ、違反者は全財産の没収に加え1年間僻地での服役、密告者は報奨として違反者の財産の半分が与えられました。
死ぬことに比べればだいぶ軽い罪なので、わざわざ亡命するとは考えにくいです。
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密売は後付設定
北宋時代のことを記した書物の中には解池に蚩尤という悪神(あるいは蛟龍)が現れ、水を枯らしてしまったので、張天師という人物が関羽を召喚して退治させたという記述が散見されます。
こうした記述に端を発して関羽は守護神や財神としての地位を確立していくのですが、財神信仰を広めたのは主に商人たち。
少し前の時代を振り返ると、唐代末期には塩の密売をする人たちが増えて黄巣の乱に至っていますし、五代十国時代でも銭鏐という人物が密売人から立身している点を考えると宋代も多くの商人が塩の密売をしていたはず。
以上のことを踏まえると密売をしていた商人たちが、同郷の英雄である関羽にシンパシーを感じて密売者に仕立て上げたのではないでしょうか。
関羽が商売人だった可能性は高く、豆腐売り、緑豆売り、ナツメ売りと様々な民間伝承が残っています。早期から関羽が商人として知られていたのであれば、解州の商人=塩の密売人と関連付けられたとしても不思議ではありません。
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三国志ライターTKのひとりごと
密売人という文字だけを見ると罪人という印象を受けますが、北宋時代の商人は国から塩の販売を許可されたことでアンダーグラウンドの世界から一躍大富豪へと転じたので、密売人という肩書はある意味勲章のようなものだったのかもしれません。
つまり、関羽を密売人とすることも少し変わったリスペクトだったということです。筆者は関羽が密売していた商人からも好かれるくらい人気があった、とポジティブに解釈をしておきたいと思います。(笑)
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