

魏徴は人の上に立つ者の教科書と呼ばれた貞観政要に度々登場する唐の太宗の重臣です。その仕事は諫議大夫と言い、皇帝の過ちを厳しく指摘し叱るという重要ながら危険なポストです。そんな魏徴、さぞかし太宗とは古くからの馴染みかと思いきや、逆に太宗の兄でライバルの李建成に仕え、太宗の暗殺計画まで立てたぶっ飛んだ人物でした。今回は、太宗を諫言する事二百回、中華の御意見番、魏徴を解説します。
この記事の目次
隋末の動乱期に魏公李密に仕える
魏徴は西暦580年に誕生しました。祖父の魏釗は北周に仕え、父の魏琬は隋に仕えたそうですが、幼少時は貧困に落ちており道士になって苦学しながら学問を身につけていきます。
天下は、一度は隋によって統一されますが、2代煬帝が暴政を敷くと天下が乱れ群雄割拠の時代が到来、魏徴も山東から江蘇までを抑えた群雄の1人魏公李密に仕えます。
しかし、李密は同じ群雄の王世充との会戦で敗れ長安にいる李淵を頼って逃亡。魏徴は河北一帯を支配していた夏王竇建徳の捕虜となりますが、その才能を見出されて登用されます。
関連記事:カオスの極み!五胡十六国時代!原因はあの人にあった…
夏王竇建徳が滅亡、李建成の側近となる
619年、王世充が隋の恭帝楊侗を廃位し皇帝を自称すると、竇建徳も夏王の称号のままで朝廷の整備を開始します。
621年、長安で唐王朝を建国した李淵の子、李世民が王世充の拠点である洛陽を攻略すると王世充の援軍要請を受け竇建徳も出陣します。しかし建徳は虎牢関で李世民の軍に敗れて捕らえられ長安で処刑されました。
ここで魏徴は唐軍の捕虜となりますが、今度は唐の皇帝李淵に才能を見出され皇太子である李建成の太子洗馬として側近に抜擢されます。このように魏徴は、度々仕える主君が滅亡しながら、敵の君主に才能を認められて抜擢されるという奇妙な人生を送ります。
関連記事:宰相とはどんな役職なの?古代中国から清の時代まで続いた役職・宰相
時代を超えて愛される中国四大奇書「はじめての西遊記」
玄武門の変でまたしても主君が殺害される
皇太子だった李建成ですが、弟の李世民は連戦連勝の将軍であり、その名声が高まるにつれて自分の地位が脅かされている事を感じ始めます。魏徴は建成の忠実な幕僚として、李世民を亡き者にするように献策し、世民の腹心、房玄齢と杜如晦を唐の朝廷から排除するなど計略を巡らしました。
一方の李世民は自分が暗殺されかけていると知ると、すぐに行動を起こし、房玄齢と杜如晦を僧侶に変装させて自宅に呼び戻し、玄武門の守備隊長で李建成派の常何を買収、僅かな伴で玄武門を通った李建成と弟の李元吉を襲撃して殺害します。
事件を知った初代皇帝李淵は混乱を収拾するために李世民に譲位、自身は太上皇帝となり隠居、李世民は2代皇帝太宗となります。魏徴はまたしても、主君を失う羽目になったのでした。
関連記事:天平の大疫病が庶民を豊かにした?アフターコロナを考える
暗殺しようとした敵、太宗に仕える
李世民は兄弟の仲を裂いた魏徴が許せず、呼び出して
「なぜ、貴様は我ら兄弟の仲を裂くような事をしたのか?」と詰問します。
すると魏徴は弁解がましい事を全くせず
「もし、皇太子殿下が私の進言を取り上げておれば、
あなたに殺される哀れな末路にはならなかったでしょう。惜しい事です」と言ってのけました。
李世民は元々、剛直な武人なので度胸が良く裏表のない魏徴を気に入り、
「今後は兄の代わりに私を厳しく諫めて欲しい」と諫議大夫という地位に魏徴を就けます。
関連記事:塩こそ最大の税金、塩の帝国漢王朝
関連記事:楊貴妃(ようきひ)とはどんな人?玄宗皇帝を夢中にさせた世界三大美女
命懸けの仕事 諫議大夫
諫議大夫とは、君主の行動に過ちがあった時に見逃さずに厳しくアドバイスする役割です。
今でさえ、上役に厳しく意見を言うのは簡単な事ではありませんが、1300年前の皇帝は、家臣の生殺与奪の権限を握る文字通りの万能の独裁者でした。もし諫言しすぎて皇帝の機嫌を損ねれば、良くて左遷、悪ければ一族皆殺しもあり得ます。だからと言って、何も言わなければ職務を果たしていないとして処罰されるのが諫議大夫です。
貞観政要のイメージで内省的な哲人皇帝に見える太宗ですが、本当は血の気の多い直情径行の人物で、ささいな事で怒りを爆発させ家臣に怒鳴り散らす癇癪持ちでした。
しかし魏徴は太宗の期待に応え、真正面から諫言する事、実に二百回にも及んだそうです。魏徴のお陰で太宗は己の心をコントロールし名君となったと言えるでしょう。
関連記事:漢唐訓詁学なんてのがあるけど、漢と唐って似てた?それとも全然違った?
関連記事:三国志では教えてくれない洛陽と長安の秘密
太宗に深く信頼され63年の生涯を閉じる
魏徴は643年63歳で生涯を閉じますが、太宗はその死をとても哀しみました。
貞観政要には、
「人は銅を以て鏡とし衣服と冠を正し、過去を以て鏡とし世の中の移り替わりに対処し、人を以て鏡とし自分の行動を正すものだ。私は魏徴という立派な鏡を失ったのだ」このような言葉が残されています。
役目がら魏徴と一番喧嘩したであろう太宗ですが、個人的な恨みを受ける危険を顧みず、天下の為に自分を厳しく叱った魏徴を、誰よりも深く信頼し尊敬していたのでしょう。
関連記事:曹丕より陰険?兄を殺して即位した北宋の第2代皇帝太宗の事件を解説
関連記事:蝗害とは?中国を悩ました災害があまりにも深刻。バッタを飲み込んだ皇帝も!
魏徴とはどんな人?のまとめ
魏徴は、太宗と同じく能書家として知られていますが、彼に関する格言として「人生意気に感ず。功名誰か復た論ぜん」というものがあります。
この言葉は、魏徴が過去の仲間を唐王朝に帰順させる為に出陣した時の言葉で、人間は相手の心意気に感じて動くもので、私個人の富や名誉などどうでもよいという意味でした。
魏徴は誠心誠意説得すれば、かつての仲間は必ずや降伏してくれると信じ、これは理屈ではなく、ましてや富や名誉など関係ないと言っているのです。幾度も主君を失いながら、敵に見いだされ抜擢された魏徴は、自らの志を忌憚なく述べて信頼を勝ち得た経験から、どんな相手でも真心を以て応じれば通じるという信念を持ちえたのかも知れません。
参考文献:Wikipedia他
関連記事:李靖(りせい)とはどんな人?曹操と孔明の二人から学んだ初唐の名将
関連記事:【誕生秘話】西遊記は実話だった!?一人の僧侶の苦難の旅を記した記録から始まった
【中国を代表する物語「水滸伝」を分かりやすく解説】








