八王の乱のスタートダッシュを切るのは司馬亮、そしてその司馬亮と対立した皇后・賈南風です。
晋書でもろくでもないことばかり書かれている賈南風で、夫であり皇帝である恵帝もまた彼女を恐れていたと言われています。しかし本当に彼らの間にはそれしかなかったのか?
今回は八王の乱を見て、別角度から恵帝と賈南風の関係を見てみようと思います。
この記事の目次
ろくでもない賈南風
賈南風の記録は晋書にて書かれていますが、背が低く色黒で容貌が良くなくて嫉妬深くて陰湿で残忍という、恐ろしくなるほどろくでもない人物像しか記録されていません。
ただしその夫となる皇帝・司馬衷もまた皇帝に相応しくない人間として、また賈南風を恐れて彼女が生きている内は何もできなかったようなことばかり記録されています。それは晋の初代皇帝、司馬炎が在命時からであり、当時から皇太子を変えるように周囲から良く進言されていたと言います。
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賢いか?小賢しいか?
後継者に不安を持ったのか、司馬炎は司馬衷に問題を出します。いわゆるテストみたいなもので、これに回答出来なかったら……とう算段だったのでしょう。
これに動いたのが賈南風、彼女は問題の回答を他人に作らせ、しかも完璧に回答させたら疑われるから、という年の入用で及第点ギリギリの回答を作らせました。これによって司馬炎は「まあこれくらいなら良いか」となったのか司馬衷を皇太子にしたまま、崩御することとなります。
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泥沼スタート
そして司馬炎崩御、恵帝となった司馬衷、皇后になった賈南風。ここから八王の乱が始まります。
様々な犠牲が出るも、賈南風のやりたい放題の政治は300年に終結。しかしそれでもなお八王の乱が止まることはなく、晋王朝の崩壊へとどんどん加速していくことになりますが、それはまた別のお話。
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恵帝と賈南風の関係
さて、恵帝と賈南風は皇帝と皇后、簡潔に言うと夫婦ですが、その夫婦仲については良く分かりません。「恵帝は悪妻である賈南風を怖がっていたよ」という断片的な記録しかなく、また賈南風が悪し様に書かれていること、賈南風が在命時は恵帝が殆ど表舞台に出てこないので「良く分からないけどまあそうだろうな」としか思えませんよね。
しかしここで敢えて、恵帝と賈南風はそんなに仲が悪くなかったんじゃないか説をちょっとだけ、ほんの少しだけ考えてみたいと思います!
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