カッとなるとすぐ刃傷沙汰になることが多い。酒に酔った主君も含めて激情家が多い呉の将軍たち。
そんな中でもひときわ目立つ……ことはないけれど、どこまでも穏やかで落ち着き払った人物、それが顧雍です。今回はそんな顧雍の人柄を少しでも紹介できればと思いました。
どいつもこいつもエキセントリックな呉軍において、頼りになるそんな好漢、顧雍のお話です。
顧雍という人物
顧雍、字は元歎。江蘇省の出身であり、嘗て蔡邕が呉郡に滞在した時、琴と学問を教わりました。この際に蔡邕は顧雍の非凡さを見抜き、この人物は将来大成するだろうと、自分の名前と同じ読みの名前「雍」と、自分も驚くほどの才能を秘めている人物という意味の字である「歎(驚くという意味)」を与えました。
そこから姓は顧、名は雍、そして字は元歎が生まれたのです。
孫権の尚書令
顧雍は成長し、役人として勤めるようになりました。後に孫権によって会稽に派遣された際に、反乱を鎮圧するという手柄を立てました。これに孫権は喜び、後に孫権の元に戻ってからも雇用は順調に功を重ね、出世していきます。そうして孫権が呉王になった際にはその尚書令となりました。
こんな顧雍ですが、その一番特筆すべきは、人柄と性格にあります。
顧雍の人柄
顧雍は寡黙で、出しゃばることなく、常に穏やかな表情でいました。しかし正しいことは正しいことであると必ず口にする性格であり、孫権はそんな顧雍を「普段は喋らないが、喋った際には必ず的を射たことを言う」と評価していました。
しかしその一方で顧雍はお酒を飲まなかったので、酒宴を開いても顧雍がいると周囲の人々は遠慮して羽目を外すことがなかったので「顧雍がいると酒が楽しめない」とも零していたと言います。
良いことじゃないか!!
二代目丞相に就任した顧雍
さて諸葛亮が蜀の丞相であったことは有名ですが、もちろん呉にも丞相がいました。初代は孫邵という人でした。しかしこの人は225年に亡くなってしまいます。このため次の丞相が選ばれることになりました。
諸将は張昭を推薦しましたが、孫権が選んだのは顧雍でした。
顧雍はその信頼に応えるべく、公平に人事を行い、民衆からも意見を聞き、どんなことも孫権にまず案として差し出しました。それが用いられれば孫権のおかげであり、用いられることがなくても決してその事を口に出さず、あくまで控えめに、そして主君を立てた政治を行ったのです。
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