不定期で行っている晋の謀臣や将軍を紹介しております。今回は司馬昭(しばしょう)の側近として反司馬氏勢力のあぶり出しや皇帝殺害を指示するなど、人がやりたがらない役を行い、功績を挙げてきた賈充(かじゅう)を紹介していきたいと思います。
この記事の目次
賈逵(かき)の長男として生まれる
賈逵(かき)は晩年に男の子を得ます。彼は世継ぎが出来たことがすごくうれしかったらしく周りの人に「この子は将来必ず世の中のために尽くし、故郷を満たしてくれるであろう」と言いふらします。彼の名前を充、字(あざな)を公閭(こうりょ)となづけ、生まれてきた嫡男を大いに可愛がり彼の将来に期待を込めて育てます。
父の爵位を継いで曹魏に仕える
賈充は父・賈逵の爵位を継いで、曹魏に仕える事になります。父の葬儀をしっかりと行った事が評判になり、孝行息子として評判になります。
彼が曹魏に仕えて数年経った頃、曹爽(そうそう)が司馬懿(しばい)を押しのけ魏の政権を掌握します。曹爽は賈充や荀彧(じゅんいく)の一族である荀勖(じゅんきょく)らを強制的に招聘し、自分が握った政権のグループに加えます。賈充はいやいやながら加わることになります。その後司馬懿が曹爽を倒し、政権を奪い返すと彼は曹爽のグループに加わっていた事から官を辞めさせられます。
司馬家に仕えた謀臣
司馬懿によって官を辞めさせられた賈充ですが、彼の息子である司馬師の時代になると再び官に呼び戻されます。
司馬師の元で引き立てられていきますが、司馬師は遠征途中で亡くなってしまいます。
司馬師の跡は弟である司馬昭が継ぎます。賈充は司馬家の地位を盤石にするため東西南北の魏の国境を守っている将軍達に司馬家をどう思っているのかを聞くため会いに行きます。
反司馬家勢力の動向を探れ
賈充は東西と北の将軍達の意向を聞くと司馬家に反感を持ってない事が分かります。彼は最後に南を守っている諸葛誕(しょかつたん)に会いにゆきます。賈充は諸葛誕に会うといきなり「昨今洛陽では、晋王である司馬昭様を皇帝にしようという動きが高まっているが、あなたはどう思う」と回りくどい言い方を取らず、直球で問いかけます。
諸葛誕は「あんたは魏の政権を支えた賈逵の息子ではないか。魏の国を司馬家に渡そうとするとは何たる不忠者だ。俺は晋王が皇帝になるならば魏の国を支える側に回る」と激怒しながら言い返します。
賈充は黙ってその場を後にするが、諸葛誕の真意をすぐに司馬昭に報告します。諸葛誕は魏の国家が司馬昭によって奪われるのではないのかと危惧し、反乱を起こします。司馬昭は諸葛誕が反乱を起こすと1年かけて鎮圧。賈充の活躍により魏の政権内で反司馬家の勢力は激減しました。
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