後漢末期から三国時代にかけて、上流階級(士大夫)の男たちの間には、容姿にこだわる者たちが数多く登場します。
今回はそんな人々の中でも、「香り」にこだわり、後世にまでその名を残した荀彧について解説していきたいと思います。
知略だけではなく容姿にも優れる男、荀彧
荀彧と言えば、曹操の軍師として大活躍しながらも、魏公就任を巡って曹操と対立し、最期は曹操への忠誠と後漢への忠誠の間で板挟みになるようにして非業の死を遂げた悲劇の天才軍師として知られる人物です。
しかし、実は荀彧という人物は、その容姿にも定評がありました。
例えば、三国志一の毒舌で知られる禰衡はある人に、「曹操・荀彧・趙融はみな一流の人物じゃないのか」と問われたとき、「曹操は大物ではない、荀彧は弔問客で、趙融は厨房で客をもてなすのがお似合いだ。」と評しています。
その心は、荀彧は容貌だけは優れているから葬式で他の出席者に格好をつける程度はできるから、趙融は大食いで肉ばかり食べているからとのことです。
これを見ると、他人をほとんど褒めず、こき下ろしてばかりのあの禰衡ですら、荀彧の容貌には一目置いていることがわかります。あの禰衡をうならせるくらいですので、荀彧の容貌は相当なものだったのでしょう。
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「香り」にこだわるファッションリーダー、荀彧
荀彧はあの禰衡でさえも一目置く程の素晴らしい容貌の持ち主でしたが、彼はそればかりでなく「香り」にとてもこだわる人物でした。
東晋の習鑿歯が著した『襄陽記』では、西晋の劉弘が述べた言葉として、「荀令君(荀彧)が人の家を訪ねれば、三日はその香りが残った」という故事を引いています。家を訪れただけで三日も残るとは、荀彧が衣服に焚き染めていた香りは非常に印象深いものだったのですね。
この荀彧の故事をもとに後の時代には、高雅な人物の粋なふるまいのことを「令君香」と呼ぶようになったと言われています。なお、「令君」というのは荀彧の渾名であり、荀彧が尚書令という官職についていたことからその名が付けられています。
劉弘は荀彧の生きていた時代から50年ほど後の、西晋時代の人物ですが、三国時代が終わってなお、荀彧の香りのエピソードとその雅な人物像は言い伝えられていたということなのですね。
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「高雅さ」のシンボルとなった荀彧
その優れた容姿と印象深い香りのエピソードから、荀彧はいつしか「高雅な人士」の理想像と見なされるようになります。とりわけ、天下泰平の下、華やかな貴族文化が花開いた唐の時代、荀彧は人々のあこがれの対象となっていきました。
荀彧(荀令君)が「高雅さ」のシンボルとして伝説化されていく中、唐代に「令君香」は多くの詩の題材となってきました。例えば、『北斉書』を著したことでも知られる初唐の李百薬は、褚遂良や上官儀ら当代有数の文化人たちと宴を催した際に、『安徳山池宴集』という詩を詠んでいます。
その中には、「雲飛鳳台管、風動令君香」(雲が上空を飛び、鳳台という台の上では管弦の演奏がなされ、風が令君の香りをざわめかせる)という一節があります。
また、盛唐の詩人であった李頎は盟友の綦毋潜にあてた『寄綦毋三』という詩の中で、「顧眄一過丞相府、風流三接令公香」(一目見て丞相の役所を通り過ぎれば、光栄なことに三たび令公の香りに接する)と詠んでいます。
これらの詩ではいずれも、「香り」という要素が強調されています。例えば、『安徳山池宴集』では風が吹き、「令君香」が風に吹かれてざわめくという情景が描かれており、『寄綦毋三』では、都の丞相府を通り過ぎると「令君香」を感じるといったように描かれています。
これらの詩を詠んだ詩人たちはもちろん、実際にそのような香りを嗅いだわけではないでしょうが、唐代の詩人たちが憧れた荀彧の香りである「令君香」が、高雅な人士の代名詞として、一つの文学的な表現にまで昇華している点を見て取ることができます。
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三国志ライター Alst49の独り言
いかがだったでしょうか。三国志における「名士」の代表格であり、優れた容姿と「香り」の伝説を残し、曹操の覇業を支えながらも最後は主と仰いだ曹操との軋轢から悲劇的な死を遂げた荀彧という人物の生きざまは、貴族や名士たちの憧れの的として、後世に至るまでしっかりと受け継がれていました。
やはり、三国志とそこに登場する人々の鮮烈な生きざまは時代を超えて、多くの人々に強烈な感動と印象を残しているということなのでしょうか。
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