キングダムに登場するキャラクターには架空の人物も多いですが、中には実在の人物も登場します。しかし、春秋戦国時代の記録は少ないので、実際には将軍ではない人物も将軍として描写されているのです。
今回は趙の李牧の配下で万能の将軍の肩書を持つ公孫龍(公孫竜)の実際の姿を解説しましょう。
この記事の目次
史実の公孫龍はひろゆきのような人
キングダムに登場する公孫龍は、現在までの所、万能とは言い難いですが手堅い用兵で李牧の腹心として活躍している将軍です。しかし、史実の公孫龍は趙の王族、平原君の食客で名家と呼ばれる学派にいました。
名家とは、舌先三寸の詭弁で人を丸め込む事を得意とする人々で、21世紀の日本で言えば、ユーチューバーのひろゆきみたいな存在です。これだけでもキングダムのどちらかと言えば寡黙で重々しいイメージの公孫龍とは雰囲気が違いますね。
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史実の公孫龍の功績
史実の公孫龍は秦王嬴政が虐待を受けた秦軍による紀元前260年の邯鄲包囲に関係した逸話があります。この戦いで、趙の王族である平原君は、楚の春申君や魏の信陵君の救援を取り付ける事に成功し、秦軍は撃破されて退却していきました。
食客だった虞卿は平原君に「今回は大手柄を立てたので王様に恩賞を要求すべきです」と説いて平原君もその気になります。これを聞いた公孫龍は、夜中に大急ぎで馬車で駆け付けて虞卿の意見に反対しました。
「平原君が宰相なのは、才能や道徳が抜きんでているからではなく王族であるからです。それなのに臣下同様に恩賞まで要求するとなれば、今後失策があれば恩賞を取り上げられても文句を言えない事になります。また、仮に上手く恩賞を頂けても虞卿は得意になり恩着せがましい態度を取るでしょう」
平原君はもっともだと思い、恩賞を請求するのを止めました。公孫龍の考えには一理あります。
平原君は戦国四君には珍しく天寿を全うしましたが失敗も多い人物でした。それでも処分されなかったのは平原君が王族で大目に見られたせいです。もし、この時、平原君が恩賞を請求していれば、王は平原君が失敗した時に失脚させたり、下手をすれば処刑するような事をしたかも知れません。
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公孫龍の屁理屈を紹介
では、公孫龍の得意とした詭弁について幾つか紹介します。これらの詭弁は文章としては矛盾して意味が通らないですが論理的には意味が通っていると解釈できると考えられているものです。
言葉 | 内容 |
白馬は馬ではない | 白は色の概念で馬は動物の概念だから白馬は存在しない |
亀は蛇よりも長い | 亀は蛇よりも長い寿命を誇るのでその意味では蛇より長い |
今日越に行って昨日つく | 越国の暦が異なれば今日出発して昨日つくのは理論上可能である |
白く堅い石は同時に確認できない。 | 白は色の概念で堅いは感触である。白石を見て堅さは確認できず、感触だけでは白色を確認できないので、白くて堅い石は
同時に存在する事が出来ない。 |
これらは天才バカボンの「賛成の反対」のようなもので、物事の表層ではなく深層を追及する為のパラドックスでしたが、浅く利用すると詭弁を使って支離滅裂な事を正当化し、論争している相手を煙に巻いて勝利する事にも使えるので、やっぱりひろゆき的です。
韓非子によると、公孫龍と同派の兒説は通行料金を免れようとして白馬は馬ではないと詭弁を展開したものの徴税役人は引かず結局は通行料を取られたと記録していて、公孫龍も同じように使用した事があるようです。こうしてみると公孫龍にとっての名家の学説は詭弁の面が強かったのでしょう。
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鄒衍に論破され晩年は不遇な公孫龍
詭弁を使い相手を論破していた公孫龍でしたが、結局、メッキがはがれる時が来ました。斉の人である陰陽家の鄒衍が平原君に説き公孫龍の言っている事はくだらない学問であり、その場その場で相手を丸め込むだけで一貫性がないので、役には立たないと断じたのです。
逆に鄒衍の説く陰陽道は、非常に緻密で計算された学問で後に五行思想として完成し王朝交代の論理となって中国で広く受け入れられるに至りました。こんなわけで平原君は、次第に公孫龍を信用しなくなり遠ざけるようになったので、公孫龍は趙を去り、その後の行方は知れないと史記にはあります。
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政治的には侵略を避けた平和主義者な公孫龍(公孫竜)
詭弁を連ねて名声を挙げた公孫龍ですが、政治的には墨子の影響を受けていて偃兵と兼愛を説きました。
偃兵とは出兵を停止する事で兼愛とは博愛を意味していて、どちらも戦争を誡める内容でした。名家の学問は戦争には役に立たず、その前段階の外交や議論で役立つものなので、公孫龍が戦争を嫌がったのは想像に難くありません。
いざ戦争になってから白馬は馬ではないとドヤっても、「うるさい!こいつを黙らせろ」としか言われませんからね。実際に命のやりとりが起きる戦争では、言葉をもてあそぶだけの名家の詭弁は何の役にも立たないのです。
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キングダム(春秋戦国時代)ライターkawausoの独り言
今回はキングダムの屁理屈お化け、公孫龍について取り上げてみました。
名家の学説は誕生して2000年間、非常に不人気で異端とされ、ほとんど顧みられる事がありませんでしたが、20世紀に入り西洋哲学との類似点が評価されてきています。
詭弁で使うのではなく、物事の表層と深層を見極めるという意味では、名家の学問は重要なものであり、今後は公孫龍も屁理屈お化けではなく論理家として評価される時がやってくるかも知れませんね。
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