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アメリカ独立戦争の原因は?放置プレイと無税政策がアメリカを独立させた?

2021年11月20日


 

忙しい方にざっくり解答03 kawausoさん

 

世界史の授業でお馴染みのアメリカ独立戦争、同時期に起きたフランス革命と並んで旧体制を打ち倒して、新しく国民主権の自由と平等を目指す国を建国したと説明されます。しかし、そもそもの理由としてどうしてアメリカはイギリスから独立したのでしょう?

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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放置プレイからアメリカの精神が誕生した

塩が途切れて白旗を挙げるイギリス海軍の帆船

 

イギリスの植民地であったアメリカ植民州にはフランスやスペインの植民地にはない大きな特徴がありました。それが植民地については積極的な投資をせずに、商売や農業に特許状を出す以外、すべて放置プレイにした事でした。

 

軍事の才能もピカイチなナポレオン

 

 

フランスは植民地に強大な権限を持つ総督を置いて官僚機構を整えると、植民地に名ばかりの自治制度を導入して莫大な投資をし、強権的に現地を支配する事で富を得ていましたが、本国イギリスは投資もせず、関税以外の税を課さずに植民地の自主性に任せます。

 

国会議事堂

 

イギリス政府がケチなのは、議会が国王の無分別な徴税(ちょうぜい)に振り回された事が原因でした。清教徒革命(せいきょうとかくめい)も名誉革命もつきつめると国王の手当たりしだいの徴税に関する議会の不満が原因だったのです。やっと徴税権を国王から奪い取った後もケチが染みついた議会は健全財政を重視し、見返りがない投資を極端に制限しました。

 

塩を一人占めして笑っているリンカーン大統領

 

普通、植民地と言えば宗主国の経済に依存し、卑屈で怠惰(たいだ)で二面性を持つ無気力な国々をイメージしてしまいますが、アメリカ植民地は投資も課税もしないイギリスの放任主義のお陰で強力な独立心を持ち自己責任と自由を愛する人々に育ってしまうのです。

 

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笑っちゃうくらい権力がない総督

三国志に出てくる海賊達 張伯路

 

18世紀に入ると自由放任主義だったイギリスの支配に変化が生じます。それまでの植民地民の自治を撤回し、特許状を出さないようにして貿易植民地と領主植民地9エリアをイギリスの直接統治下に置いたのです。

 

そして、各地に国王が任命権を持つ総督(governor(ガバナー))を置いて権力の頂点とし、自治を認めた領主植民地についても領主を国王の認可制として本国の支配下に置きました。総督は植民地住民の選挙で選ばれますが国王の認可制だったわけです。

 

ところが、こうして設置された植民地総督も見掛け倒しのハリボテでした。ケチな国王は自身が任命した9エリアの総督に給与を支払わなかったのです。総督の給与は植民地議会が支払いましたが、議会はイギリス議会の精神を受け継ぎ、必要最低限の給与しか総督に支払わず、渋々で意図的に遅らせさえしました。

 

農民達に踏みつけられる革命暦と落ち込む革命家

 

こうして総督は大した役得もなく、町の気の良いそこそこ有能な人物が選ばれる名誉職となり、イギリス国王の権力で植民地民を押さえつける尊大な独裁者には到底、なりえませんでした。

 

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カレンダーの世界史

 

 

常に権利の拡張を主張する下院

君主論

 

イギリス国王に任命される総督や評議会が穏健で無力だったのに対し、アメリカ植民州の下院は植民地の市民の代表であり、非常にやかましい存在でした。

 

植民州の下院は不器用ながらイギリス下院を研究し、議会政治に必要な書籍をどの植民州の議会でも揃え、特に攻撃的だったジェームズ1世やチャールズ1世と下院の激しいやり取りを記録し、イギリスで下院が権限を握ったり大胆な行動を取ると、どこかの議会が決まってそれを引き合いに出すという熱心さです。

 

国王に批判的なやりとりを見て学習した植民地の下院は、その後イギリスが植民地に課税しようとした時に、最も激烈に抵抗する組織になりました。

 

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世界で初めて成文法の憲法を持つ

フランス革命

 

アメリカの下院はイギリス議会と異なり、成文憲法(せいぶんけんぽう)を初期の段階から保有していました。特にコネチカット基本法は1639年に制定されアメリカのみならず世界最古の成文法です。

 

憲法を持った事はアメリカ人とイギリス人の性質を大きく変えました。イギリス人が伝統主義や経験主義で日々の延長で物事を考えていた頃、アメリカ人は権利や自然法、普遍的で絶対的基準で物事を考えるようになりました。

 

君主論18 kawausoさん

 

憲法を持ったアメリカ人は、今日だけではなく明日の自分達、将来やってくる身分制の不条理から人間の権利を守る為、人権を保障し拡充する事を考えるようになります。それは、やがてイギリスの植民地としての立場を否定し、自由と平等と民主主義を国是とするアメリカ合衆国の建国へ繋がっていきました。

 

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ながら世界史

 

 

イギリスと政治が同期した幸運

 

アメリカ植民州の議会は、イギリス議会を模倣したので、イギリスの下院が手に入れた権利は当然のようにアメリカの下院も主張します。17世紀から18世紀にかけ、他国では王権が拡大して絶対王政が敷かれますが、同時期のイギリスでは清教徒革命、名誉革命と国王が議会と対立して敗れ去る事件が相次ぎました。

 

イギリスの歴代国王はこの時に手放した王権を二度と回復できず、絶対君主ではなく、憲法の制約を受ける立憲君主となります。アメリカでも、この頃、総督と評議会の力を下院が完全に圧倒し、イギリス国王の直接統治を受けつつも逆に勢力を伸ばし、総督を含む全ての公務員の給与と諸経費を議会の統制下に置く事に成功しました。

 

そして、イギリス議会とは逆に、アメリカの下院は数々の行政権をコントロールし、自らが政府であると考えるようになったのです。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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