募集期間:2021年5月(1週間)
忠臣とは、忠義の臣下とは。その形は色々あり、多種多様な忠義の姿を三国志でも三国志演義でも見ることができることでしょう。もちろん数多くの忠臣が、忠義の人たちが出てきます。
その中で、今回の皆さんに聞いてみたいアンケートは「蜀の忠臣は?」貴方の思う忠臣に一票を入れて頂きました!もちろんその他の項目も見逃せないものになっておりましたよ!
姜維
「結果はともあれ姜維は蜀の忠臣というか諸葛亮に恩義を返そうとした武士というのが印象。ん?つまり蜀の忠臣?」
引用元:はじめての三国志TV
姜維は元々は魏の武将でしたが、蜀に投降し、その後は諸葛亮の遺志を引き継ぐかのように北伐を繰り返しました。その行動は残念ながら実ることはなく、逆にその行動こそが蜀の体力を削り、命運を縮めた……という見方もできなくはありません。
しかし結果はどうであれ、姜維は姜維の考えとやり方で蜀の未来を掴もうとした。それは蜀のためか、それとも自分を見出してくれた諸葛亮のためだったのか……もう誰にも分かりませんが、間違いなく忠臣と言って差し支えない存在と言えますね。
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諸葛亮
「諸葛亮さんに一票いれました。文字通り自分の命を削って蜀に仕えた孔明さんすごいです」
「やはり孔明丞相であろう」
「このラインナップなら孔明一択だろう」
引用元:はじめての三国志TV
このメンバーを並べるならば諸葛亮、という人は多かったですね。色々な問題点があったとしても、それでも北伐を繰り返すことを諦めなかった諸葛亮。
そこには忠義を燃やした、執念の炎のような「熱」を感じます。また有名な出師の表は涙無くしては読めない一品。どこまでもどこまでも劉備の恩義に報い、そして蜀のために命すら燃やした一人の「忠」と「義」に、三国志演義でも心を打たれた人も多いのではないでしょうか。
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【北伐の真実に迫る】
羅憲
「羅憲の永安死守はかっこよかった」
引用元:はじめての三国志TV
羅憲は末期の蜀を支えた人物で、黄皓に疎まれて左遷され、永安城に赴任することになります。そして来る263年、この時に羅憲は2000の兵士だけで永安の留守を任されることに。
成都が陥落したという噂により混乱する皆を抑え、そしてこれ好都合と進行してきた呉を相手に籠城戦をすることに。救援も来ないまま、半年以上も永安を死守し、見事抑えきった羅憲はそのまま魏から永安を任されることに。そして戦後は数々の蜀の人材を推挙しますが、そこにはあの陳寿の名もありました。
羅憲の数々の名言は蜀書霍峻伝にも乗せられていますので、ぜひ末期の蜀を支え、そして滅びとその後まで見届けた羅憲の活躍を見てみて下さいね。
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霍弋
「霍弋のおかげで、弋という字を知りました」
引用元:はじめての三国
霍弋は前述した羅憲同じく、蜀末期の武将です。諸葛亮にその才能を見込まれた霍弋は、養子・諸葛喬と共に各地を見聞して回り、蜀を支えていく力を付けました。
その霍弋の叡智、沈着冷静さが光るのが蜀の終焉でのこと。劉禅の降伏を聞いた霍弋は、三日間喪に服します。周囲から降伏を進められるも
「今は劉禅様の安否も分からず、重大な決定はできない。劉禅様が魏と和睦しているなら降伏を、しかし、もしも劉禅様が辱めを受けているようであれば死を覚悟で抵抗する」
そして劉禅の安否が分かると静かに降伏、この冷静さは司馬昭も感服し、後に列侯に封じられました。羅憲と同じく活躍が三国志終盤なのですが、もっと注目されて欲しい人物ですね。
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その他
「黄権じゃないかな」
「馬岱も忘れてはいけない…」
「魏延」
「「蜀」の未来をを考えて行動を起こした法正かな?」
「僕は趙雲に一票です」
引用元:はじめての三国
さて今回は色々な人物の名前を見ることができました。上記のように活躍が注目される武将から
「その他:初期の頃から劉備に付き合ってくれてた糜竺とかはダメですかね?」
「やはり初期から従っていた孫乾だと思います」
「黄巾の乱からずっと付き従ってた簡雍を押します!」
引用元:はじめての三国
古くからのお付き合いの皆様まで。そんな中で気になったのがこちら。
「蜀の忠臣二君に仕えず でお馴染みの張任もある意味蜀随一の忠臣ですよね」
引用元:はじめての三国
蜀の劉璋は暗愚という印象がありますが、決してそうではありません。張任は元々劉備を招くことも反対し、最期まで劉璋を主として尽くしました。劉備は張任を評価して手元に置きたがるも、張任は決して説得に応えることはなく、劉備も処断を決意。
あくまで劉璋の蜀に尽くした張任もまた、蜀の忠臣と言えますね。
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三国志ライター センのつぶやき
さて最後に、こちらのコメントをご紹介。
「選択に悩みます。忠臣ってその時の感情や立場で何とも言えてしまうから。全員に当てはまると思ったのでその他に入れました」
引用元:はじめての三国
国と主のために戦うだけが忠臣ではなく。命を持って恩義に報いるだけでが忠臣ではなく。平時においても、国のために日々尽くした人々も多くいます。
もしかしたら逸話として残らないだけで、目立たぬ多くの忠臣たちが国を支えていたのかもしれませんね。そんなことを考えさせてくれるコメントでした。
それでは今回はこれにて、どぼーん!
引用元:はじめての三国
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