幕府と言うと、鎌倉、室町、江戸という言葉を連想してしまいます。
いかにも日本的なイメージの幕府ですが、その源流は中国にあったという事を
皆さんは御存じでしょうか?
この記事の目次
幕府とは、何なのか?
そもそも、幕府とは何なのでしょうか?実は、幕とはテントを意味し、
府とは、宝物や貴重品を安置する場所、転じて役所を意味します。
つまり、幕府とは、テント張りの役所という意味なのです。
後漢、三国時代には、大将軍、驃騎(ひょうき)将軍、衛将軍、という
最高ランクの武官が、それぞれ、将軍府、驃騎府、衛騎府というような
幕府を開き、大勢のスタッフを抱えて動いていました。
どうして幕府を開く事が許されたの?
大将軍や驃騎将軍は、率いている軍勢が万から数十万単位です。
例えれば、ミニ国家が動いているようなものでした。
彼等は、都から遠く離れた戦場で戦うので、占領地域の民政や、
軍政、そして数十万の兵力の健康状態や食糧の問題に取り組む義務があります。
その為のスタッフを持たせて、中央の支配が及ぶまでの間の、
臨時行政府の役割を担わせたのが幕府という制度だったのです。
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もっと知りたい幕府のスタッフとは?
では、実際に大将軍や、驃騎将軍が幕府を開くと、どんなスタッフを
設置する事が出来たのでしょうか?
一番に登用されるのが、将軍の補佐である軍師で、1千石の給与です。
次が参謀である長史(ちょうし)、三番目が憲兵隊長でもあり
軍の秩序監督をする司馬、この3名が側近でいずれも1千石の格です。
この下に、従事中郎(じゅうじちゅうろう)という上級参謀、
主簿(しゅぼ)という庶務課長、参軍(さんぐん)という伝令・情報将校、
記室督(きしつとく)という事務文書の管理職があります。
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民政を司る、幕府スタッフ
・西曹掾(せいそうえん)は、府の官吏採用を司る人事課長です。
給料は四百石と安いのですが、推挙した人材がヘボだと連帯責任を
取らされるので優秀な人物が当てられるポストでした。
魏の陳羣は若い頃に、この西曹掾に抜擢されています。
・東曹掾(とうそうえん)は、太守や県令の採用や昇進試験を
司る地位で、やはり人物を見る力がある人が抜擢されます。
それより下には戸曹掾(民間の祭祀農業の係官)、
倉曹掾(食糧の係官)、賊曹掾(盗賊の取締係官)
金曹掾(貨幣、鉄、塩の係官)などがいます。
一番下は、舎人(しゃじん)といい、雑用係で百石という薄給、
14名いて、雑用で幕府を走り回っていたのです。
これらのような、幕府のスタッフは全体で43名程存在し、
支配地域の軍政を担当していました。
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