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孫権(そんけん)は、曹操から討虜将軍、会稽太守に任じられ幕府を開いた
このような幕府のスタッフは、将軍が中央から自立するのに、
とても便利な方法でもありました。
討虜(とうりょ)将軍、会稽(かいけい)太守に任じられ
ここで、幕府を開いてスタッフを任命し周辺の攻略に当たります。
討虜将軍という、低い将軍位で幕府を開けるわけもないのですが、
事実上の支配権を有している孫権は気にしていないようです。
実際に陸遜(りくそん)は、西暦204年に21歳で孫権に仕えて、
東曹掾と西曹掾を歴任してから海昌(かいしょう)の屯田都尉になっています。
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小心者孫権?劉備に依頼して車騎将軍になる
しかし、西暦208年、赤壁で曹操を破った直後、
孫権は劉備(りゅうび)の推挙で突然、車騎将軍に任命されています。
考えるに、これはおそらく、討虜将軍で幕府を開いていた孫権が、
辻褄を合わせる為に、車騎府を開ける車騎将軍の位を劉備に
依頼していたという事が考えられます。
もしかすると、呉と劉備が合同して曹操に当たる条件に、
車騎将軍位も入っていたのかも知れません。
何だかんだで、低い将軍位で幕府を開いていた事への
負い目があるとしたら、孫権は結構、小心者です。
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幕府を開く事で独立している訳ではないアピール
孫権を腹では笑っていそうな劉備も、曹操の居候時代に、
左(さ)将軍に任命されたのを根拠に幕府を開いています。
孫権の討虜将軍より、ずっと上の三品官ですが、もちろん、
幕府を開く権限などありません。
まあ、劉備の場合、あくまでも漢王朝再興が存在意義ですから、
幕府を開かないと、独自勢力と思われるフシがあるので、
非常に警戒したのかも知れません。
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三国志ライターkawausoの独り言
一見すると、日本の称号のように思える幕府ですが、
実は、中国に由来していたのです。
かつ、そこには、地方を独自に軍政支配出来る上に、
漢王朝の内部にとどまる幕府称号を使う事で、
「俺達、独立なんかしてません、
これは幕府で、あくまで漢の臣です」
という誤魔化しが出来るというメリットがあったようです。
本日も三国志の話題を御馳走様でした。