西暦184年、張角(ちょうかく)が率いる太平道は、黄巾党を興して、
打倒漢王朝に立ちあがります。
「蒼天已死 黄天當立 歳在甲子 天下大吉」
これは、武装蜂起した黄巾党のスローガンで、意味は以下の通りです。
前回記事:社会不安を利用し急速に拡大した太平道、当時の人が宗教に頼った理由とは?
この記事の目次
このスローガンはどういう意味だい?
「漢の命脈は尽きた、これからは黄巾の世の中だ、
時は甲子(西暦184年)の年、これにて天下は太平になる。」
中々の名キャッチコピーを元に張角は、36万人という信者を率いて、
漢王朝に攻撃を仕掛けるのです。
張角はどのようにして信者を獲得したのか?
しかし、張角はどのようにして36万人もの信者を獲得したのでしょうか?
当初の張角は、太平清領書という道教の教義を元に往来に立って
理想の世界を説法していました。
ですが、当然、聴く耳を持つ人はいません。
誰でもそうですが、宗教というものに対する最初の反応とはこういうものです。
そこで、張角は太平清領書に書いてある病気の治し方に着目します。
当時は医者に診てもらえるのは金持ちだけで庶民には縁遠い存在でした。
にわか医師になりきった張角
張角は、にわか医師になり病気に苦しんでいる人々を訪ね歩き、
護符や、お札を焼いて水に溶いて飲ませ、九節の杖を使って呪文を唱えました。
これは張角ばかりでなく、聖書や仏典にもある聖人が病を治すという奇跡です。
張角の呪術は失敗する事もありましたが、張角は巧妙にも、
その言い訳も用意していました。
「私の力は、太平道を信じるものにしか効かない、不幸にも、死んだ者は、
信心というものが足りなかったのだ、、」
これならば、死んでしまった患者は信心が足りないせいで、張角が悪いのではない
という理屈が成り立ちます。
広がる張角が起こした奇跡
この病を治すという奇跡は、あっという間に周辺の村に広がりました。
呪術で病を癒せる=聖人という括りは、宗教の創始者にカリスマ性を
与えるのに必要不可欠な要素です。
そして、世の中には、病気に悩んでいる人は、沢山います。
また、「病は気から」という言葉の通り、人間には
プラシーボ効果という暗示の作用があります。
ブラシーボ効果って何?
例えば、ただの小麦粉を車に酔う人に「酔い止めの薬」と偽って渡すと
自分は薬を飲んだという安心感で、車酔いの症状が出ないのです。
広まる奇跡、太平道を信仰する信者続出
張角の奇跡が広まるにつれて、太平道を強く信じる人も出てきて、
それが、張角の呪術による病気の治療の成功率を上げた可能性もあります。
張角は、8名の高弟を各地に派遣して、自分の奇跡を吹聴させます。
それが、ますます張角にすがる人々を増加させ、36万人という
巨大な規模にまで太平道の信者を増加させたのです。
太平道の真理は何?
太平道の真理は、無為自然という道教の教えをベースにしながら、
因果応報を説いていました。
身を慎み、正しい行いをすれば、幸福がやってくる、享楽に耽り
悪い事をすれば、禍いを避ける事は出来ないというものです。
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無為自然という道教の教えを守った太平道の教徒達
太平道の教徒は、この教えを忠実に守り、慎ましく質素な生活を送り
信者同士でコミュニティを造って集団で生活していました。
張角は、このような信者を、方という単位で分けていましたが、
方は1万人、小方でも7~8000人という規模でした。
太平道の場合には、これが、そのまま武装集団化して黄巾賊という
存在になっていったのです。