黄巾賊の首領であり天公将軍と名乗った張角は、
本当は電撃戦で漢王朝を打倒しようと考えていました。
その為に、弟子に大金を与えて、洛陽に派遣し宦官を買収して、
洛陽の城門を開かせて一気に王宮を占拠してしまおうと計画していたのです。
前回記事:張角が太平道信者を増やした方法
宦官を買収した張角だったが
実際に張譲(ちょうじょう)という宦官が張角に抱きこまれ、
電撃作戦は首尾良く成功するかに思えました。
ところが、土壇場で買収していた張譲が恐れを抱き
計画を漏らしたので、作戦は失敗に終わります。
張角は官軍の討伐隊が攻めて来る前に行動を起こそうと、
準備不足の中でヤケクソ蜂起をする羽目になりました。
それでも、後漢王朝が当初は、宦宦と外戚で勢力争いをして、
足並みが揃わない間は、黄巾賊は勢いを頼りに勝利を得る事が出来ました。
宦官と外戚が一時休戦をした結果
しかし、宦官と外戚が一時休戦し、官軍の中でも百戦練磨の蘆植や皇甫嵩、
朱儁のような将軍や、曹操や孫堅、劉備のような若手の武将が戦争に出撃し
黄巾賊を各地で、シラミ潰しに撃破するようになると情勢は変化します。
最初は勢いがあった黄巾賊も、負け始めると素人の弱点をさらけ出し、
敗残兵を統合して軍を立てなおす事も出来なくなります。
当初から戦術・戦略に長けた人物が無かった事が禍いしてしまったのです。
幾ら数が多くても、バラバラでは、職業軍人である官軍に敵う筈もなく
各地で敗走を繰り返しています。
教団の精神的な柱、張角が逝く
極めつけには、教団の精神的な柱だった張角が戦陣で病死してしまいます。
こうして、残っていた黄巾賊も散ってしまい、黄巾の乱も終結します
36万人と言われた大規模叛乱は、たったの9カ月で終わってしまいました、
張角が短期決戦にこだわった理由
思えば張角が最初に電撃戦にこだわったのも長引けば素人集団の
弱点が露呈するという事を知っていたからかも知れません。
ただ、張角の死後も、各地の黄巾賊は、散発的な抵抗を続けていて、
それは20年以上も継続したとされています。
その一部は三国志の主人公の一角である曹操の直属の精鋭
青州兵として吸収され魏の天下取りに大きく貢献しています。
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