三国志と並んで、歴史小説として日本では人気を二分する小説に水滸伝(すいこでん)があります。読んでいるとなんだか、三国志と時代的に近い感じもする水滸伝、では、両者の違いって、お分かりでしょうか?
水滸伝は知らないけど、知ったかぶりしたいという方、ちょっと水滸伝に手を出したいのでさわりだけ教えて欲しいと言う方ここで、両者の違いを解説しましょう。
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この記事の目次
三国志と水滸伝の違いポイント1、時代が違う
これは基本ですが、三国志は、西暦184年頃から280年までの約1世紀の話です。
一方、水滸伝は、西暦1100年頃から、約20年前後の時代を舞台にしています。
時代としては、900年も隔たりがあり、時間のスパンでいくと、三国志は100年、水滸伝は20年という事になります。
三国志と水滸伝の違いポイント2、主人公の扱いが違う
三国志は、前半は劉備(りゅうび)、後半は孔明(こうめい)を中心として話が展開します。
曹操(そうそう)、孫権(そんけん)、周瑜(しゅうゆ)や司馬懿(しばい)というようなライバルは、主として劉備や孔明に絡む時に登場する脇役の扱いです。例えるなら三国志は、前半劉備、後半孔明の大河ドラマなのです。
一方の水滸伝は、複数の主人公(物語では好漢と呼ばれる)の物語が、様々な視点で語られて、最終的には一つの目的に、結集していくというオムニバス形式になっています。
水滸伝の主役は一応、宋江(そうこう)という好漢なのですが、序盤は影が薄く、むしろ、林沖(りんちゅう)、史進(ししん)、武松(ぶしょう)、楊志(ようし)、魯智深(ろちしん)、阮兄弟(げんきょうだい)のような好漢(こうかん)達が、主役を喰うような大活躍をしています。
思い切り、簡略化すると、三国志は、ドラクエ1や3のような主人公中心RPG、水滸伝は、ドラクエ4のような、主人公が複数いる物語だと言えるでしょう。
三国志と水滸伝の違いポイント3、敵ボスの扱いが違う
三国志におけるラスボスというのは、主人公劉備、孔明の立場と時代によって変遷していきます。
当初のボスは、黄巾賊(こうきんぞく)ですが、それが、菫卓(とうたく)に変わり、次には曹操に変わり、曹操の死後は、司馬懿(しばい)に変化します。
また、曹操や菫卓は、黄巾賊討伐では、官軍側という括りの劉備の仲間ですが、時代が進むと敵対していきます。
三国志は100年の物語なので、後半と前半では、登場人物がすっかり入れ変わってしまうのです。
一方の水滸伝ですが、こちらの大ボスは高俅(こうきゅう)という男で、時の皇帝、徽宗(きそう)に取り入り金権政治をほしいままにする大悪党です。
高俅は、四奸と言われる、蔡京(さいけい)、童貫(どうかん)、楊戩(ようせん)、という、悪徳役人の一人であり、水滸伝の好漢達の運命を狂わす仇役で、水滸伝は、この高 俅を斬って操られる徽宗皇帝を救うというような筋立てになっています。これは、物語を通じて、全く変化しません。
三国志と水滸伝の違いポイント4、フィクションの度合いが違う
三国志は、劉備や孔明を称えるべく、史実を曲げた部分がある歴史小説ですが、概ねは歴史に沿って物語が展開します。張角や孔明は、風を起こしたり火を起こしたりと、超人的な働きをしますが、その位です。
一方の水滸伝は、そもそも好漢達の前世が人間ではありません。
総勢、108名いる彼等主人公は、唐の時代に世を騒がして封印された108星の魔王が転生した姿です。ただ、転生した北宋の時代が、あまりにも乱れていたので、魔王達は逆に世直しをする羽目になるという逆説になっているのです。
それから妖術の度合いも三国志とは比較になりません。例えば、高廉(こうれん)という悪徳道士は、紙から兵士を造りだすというスーパー妖術を繰り出す人物ですし、味方の道士である公孫勝(こうそんしょう)は、風雨を呼び雷を落とし、龍や鳳凰や神兵と呼ばれる兵士を召喚して戦うなど、殆ど、ファイナルファンタジーな大活躍です。
戴宗(たいそう)という好漢は、足にお札を張りつけて走ると、一日に800里を走る事が出来るという超能力を持ちます。中国の1里は、500メートルですから、戴宗は、一日400キロメートルを走る事になります。
水滸伝の主人公達が拠点にする梁山泊は、12世紀には実在し、その首領も宋江という名前でしたが、それ以外の好漢達の活躍は殆ど創作です。
三国志と水滸伝の違いポイント5、理不尽さが違う
三国志演義は、フィクションはありますが、歴史をねじ曲げる訳にはいかず、劉備と孔明が興した蜀漢(しょく・かん)は、魏を継承した晋によって滅ぼされます。
しかし、一介の農民から身を起こした劉備が、漢室の血筋を継ぐというそれだけを誇りに、ここまで頑張ったという事に、或る程度の満足を読者は持つ事が出来るでしょう。
一方の水滸伝ですが、こちらは理不尽だらけです。水滸伝の好漢達は、奸賊高 俅を斬り、乱れた世の中を救うという大義の下に集まるのですが、皇帝を敬う気持ちが篤い、元、下級役人出身の首領宋江の個人的な思いのせいで大義は暗転します。
梁山泊の賊が討伐できない程に強大になった事を恐れた高俅や、蔡京は、計略を用いて、梁山泊軍を官軍に抱きこもうとします。
そこで皇帝の名義で朝廷に帰順する事を宋江に要請すると、役人だった時代に未練がある宋江は、これをあっさり受諾。
猛反対する仲間達を抑えて、あれほど斬りたいと思っていた、四奸、高俅、童貫、蔡京の下で反乱軍や、異民族の討伐にいいようにこき使われて、ドンドン仲間が死んでいくのです。
最期まで残った、宋江や子飼いの李逵(りき)のような好漢も、皇帝からの下賜品と騙された毒酒を飲んで死亡、、
残った好漢達は散りぢりバラバラになり、ほどなく、北宋も北方の女真族の国家である「金」に侵攻されて、滅亡し南に逃れて南宋を興します。
読者の大半は、「なんじゃいこらあああああ!!」と憤慨します。あまりに理不尽過ぎる最期に好漢に感情移入した分だけ、怒りもMAXに到達してしまうのです。
あまりの理不尽さに、水滸伝には、好漢108星が、梁山泊に集った所で、エンディングになる話もある位です。衰亡して滅んでいくだけの後半をバッサリ切っているわけですね。
以上が、ざっと上げた三国志演義と水滸伝の違いです。同じ歴史を舞台にしていても、これだけ毛色が違う両者、読み比べて、違いを楽しむのも面白いでしょう。
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