私、kawausoは、ファミコンの三國志でSLGとしての三国志とは出会いました、三国志は、いくつかのメーカーが競って出していたのですが、私のは正統派の光栄の「三國志」で御座います。光栄の三國志は他の三国志と違い、武将の顔が劇画調で重厚感がありプレイ感覚もリアルで武将の集め甲斐があったのです。さて、そんな渋―い光栄三國志でもインパクトのある顔と言えば、袁紹軍の猛将である顔良(がんりょう)と文醜(ぶんしゅう)です。
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顔良(がんりょう)と文醜(ぶんしゅう)の特徴
顔良(がんりょう)は、横顔ながら渋い髯顔、一方の文醜(ぶんしゅう)は目玉が飛び出したダルマのような醜男、、しかも、当時の記憶では二人は兄弟と書かれていたような、、こんな似てない兄弟ってアリか?そんなこんなで、顔良(がんりょう)と文醜(ぶんしゅう)は、名前と顔のWインパクトで忘れる事が出来ない二人になったのです。
実際は兄弟だったの?
ただ、最近の研究では、顔良(がんりょう)と文醜(ぶんしゅう)は兄弟ではないとの事で、たまたま同時期に袁紹(えんしょう)軍の配下にいただけで、ドラマを面白くする為に義兄弟とされただけのようです。
関羽(かんう)と戦った顔良(がんりょう)だが、実際はどうだったの?
さて、この顔良(がんりょう)と文醜(ぶんしゅう)は仲良く揃って関羽(かんう)の青龍堰月刀のサビになってしまうのですが、実は顔良(がんりょう)は関羽(かんう)と戦うつもりは無かったという説があるのです。
時は、西暦200年の官渡の戦いの前哨戦である白馬・延津の戦い。戦闘に赴く前に顔良(がんりょう)は今は同僚になっている劉備(りゅうび)から、以下のような頼まれ事をしています。
劉備(りゅうび)が顔良(がんりょう)に伝言を伝える
「曹操の陣営には、敗戦で離ればなれになった関羽という男がいる。私と関羽は義兄弟であり、死ぬ時は一緒と誓った仲だが、敗戦のどさくさで私がどうなったかも知らずさぞ心配して探している事だろう。もし、戦場で関羽に出会ったら、劉備は袁紹様の下にいると、一言伝言して欲しい。関羽は身の丈2mを超える大男で顔は棗の実のように赤く、胸まで届く濃い髯を蓄えている見れば直ぐに分かる筈だ、、」
顔良(がんりょう)は、「それはお困りで御座いましょう、お安い御用です」と請負い、それから戦いに赴きました。すると、劉備(りゅうび)から聞いた人相、風体の武将が凄まじい形相で、顔良(がんりょう)に向かってくるのが見えます。
顔良(がんりょう)、遂に関羽(かんう)と相対する
あれこそが関羽(かんう)に違いないと思った顔良(がんりょう)は、武器も構えず、関羽(かんう)に話しかけようとしますが、関羽(かんう)は目を血走らせて全く、聴く耳を持ちません。
「おいおい、待て、関羽、お主に劉備殿から伝言が、、」
「やかましい!!合戦の最中に敵に話しかけるな!!」
気迫に押された顔良(がんりょう)は、防戦が遅れてしまい関羽(かんう)に斬り殺されてしまいました。
もし、これが本当なら顔良(がんりょう)は、劉備(りゅうび)と関羽(かんう)のコンビプレーでまんまと倒された、イヤイヤ、劉備(りゅううび)から伝言を引きうけたばかりに貧乏くじを引いた事になりますね。
それじゃ、文醜(ぶんしゅう)はどうなの?
もう一方の文醜(ぶんしゅう)は、名前から醜男のようにイメージされますが、正史三国志では、顔良(がんりょう)と同じく容姿に対する記述はありません。ただ、三国志演義では、身の丈8尺(2m40cm)顔は獬豸(かいち)という神獣のような容姿だったと書かれています。
獬豸(かいち)って何?
獬豸(かいち)とは、日本の狛犬の原型になったとも言われる伝説上の怪物ですが、要するに狛犬顔だった訳です。何だか正月に咬まれると縁起が良さそうな顔ですが、100歩譲ってもイケメンとは言えません。
正史の文醜(ぶんしゅう)はどうだったの?
実は正史の文醜(ぶんしゅう)は、関羽(かんう)には斬られておらず、曹操(そうそう)軍の計略の前に戦死したとしか書かれていません。しかし、蜀贔屓(ひいき)な演義の脚本家達は、どうせ同じ白馬・延津の戦いで戦死しているなら両方とも関羽(かんう)に殺された事にしようと物語りを組み替えてしまったのです。こうして、顔良(がんりょう)同様に狛犬ならぬ関羽(かんう)の咬ませ犬になった文醜(ぶんしゅう)、、ですが、もし、正史のままの扱いだったら、物語にも昇らずゲームでも地味な扱いだったかも知れませんね、、
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