顔良と文醜の裏話、顔良って実はいい奴?

2015年3月13日


 

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テレビを視聴するkawauso編集長 ver.2
私、kawausoは、ファミコンの三國志でSLGとしての三国志とは出会いました、三国志は、いくつかのメーカーが競って出していたのですが、私のは正統派の光栄の「三國志」で御座います。光栄の三國志は他の三国志と違い、武将の顔が劇画調で重厚感がありプレイ感覚もリアルで武将の集め甲斐があったのです。さて、そんな渋―い光栄三國志でもインパクトのある顔と言えば、袁紹軍の猛将である顔良(がんりょう)と文醜(ぶんしゅう)です。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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顔良(がんりょう)と文醜(ぶんしゅう)の特徴

顔良&文醜

顔良(がんりょう)は、横顔ながら渋い髯顔、一方の文醜(ぶんしゅう)は目玉が飛び出したダルマのような醜男、、しかも、当時の記憶では二人は兄弟と書かれていたような、、こんな似てない兄弟ってアリか?そんなこんなで、顔良(がんりょう)と文醜(ぶんしゅう)は、名前と顔のWインパクトで忘れる事が出来ない二人になったのです。

 

実際は兄弟だったの?

袁紹にお茶を渡す顔良
ただ、最近の研究では、顔良(がんりょう)と文醜(ぶんしゅう)は兄弟ではないとの事で、たまたま同時期に袁紹(えんしょう)軍の配下にいただけで、ドラマを面白くする為に義兄弟とされただけのようです。

 

関羽(かんう)と戦った顔良(がんりょう)だが、実際はどうだったの?

顔良を討ち取る関羽

 

さて、この顔良(がんりょう)と文醜(ぶんしゅう)は仲良く揃って関羽(かんう)の青龍堰月刀のサビになってしまうのですが、実は顔良(がんりょう)は関羽(かんう)と戦うつもりは無かったという説があるのです。

 

官渡の戦い 騎馬兵

 

時は、西暦200年の官渡の戦いの前哨戦である白馬・延津の戦い。戦闘に赴く前に顔良(がんりょう)は今は同僚になっている劉備(りゅうび)から、以下のような頼まれ事をしています。

 

劉備(りゅうび)が顔良(がんりょう)に伝言を伝える

劉備 だらしない

 

「曹操の陣営には、敗戦で離ればなれになった関羽という男がいる。私と関羽は義兄弟であり、死ぬ時は一緒と誓った仲だが、敗戦のどさくさで私がどうなったかも知らずさぞ心配して探している事だろう。もし、戦場で関羽に出会ったら、劉備は袁紹様の下にいると、一言伝言して欲しい。関羽は身の丈2mを超える大男で顔は棗の実のように赤く、胸まで届く濃い髯を蓄えている見れば直ぐに分かる筈だ、、」

 

顔良(がんりょう)は、「それはお困りで御座いましょう、お安い御用です」と請負い、それから戦いに赴きました。すると、劉備(りゅうび)から聞いた人相、風体の武将が凄まじい形相で、顔良(がんりょう)に向かってくるのが見えます。

 

 

顔良(がんりょう)、遂に関羽(かんう)と相対する

関羽 大暴れ

 

あれこそが関羽(かんう)に違いないと思った顔良(がんりょう)は、武器も構えず、関羽(かんう)に話しかけようとしますが、関羽(かんう)は目を血走らせて全く、聴く耳を持ちません。

 

漢の顔良(がんりょう)

 

「おいおい、待て、関羽、お主に劉備殿から伝言が、、」

 

「やかましい!!合戦の最中に敵に話しかけるな!!」

 

顔良と関羽

 

気迫に押された顔良(がんりょう)は、防戦が遅れてしまい関羽(かんう)に斬り殺されてしまいました。

 

袁紹に顔良の活用を止める沮授

 

もし、これが本当なら顔良(がんりょう)は、劉備(りゅうび)と関羽(かんう)のコンビプレーでまんまと倒された、イヤイヤ、劉備(りゅううび)から伝言を引きうけたばかりに貧乏くじを引いた事になりますね。

 

それじゃ、文醜(ぶんしゅう)はどうなの?

はてなマークな劉備と袁術

 

もう一方の文醜(ぶんしゅう)は、名前から醜男のようにイメージされますが、正史三国志では、顔良(がんりょう)と同じく容姿に対する記述はありません。ただ、三国志演義では、身の丈8尺(2m40cm)顔は獬豸(かいち)という神獣のような容姿だったと書かれています。

 

獬豸(かいち)って何?

 

獬豸(かいち)とは、日本の狛犬の原型になったとも言われる伝説上の怪物ですが、要するに狛犬顔だった訳です。何だか正月に咬まれると縁起が良さそうな顔ですが、100歩譲ってもイケメンとは言えません。

 

正史の文醜(ぶんしゅう)はどうだったの?

魔王曹操

 

実は正史の文醜(ぶんしゅう)は、関羽(かんう)には斬られておらず、曹操(そうそう)軍の計略の前に戦死したとしか書かれていません。しかし、蜀贔屓(ひいき)な演義の脚本家達は、どうせ同じ白馬・延津の戦いで戦死しているなら両方とも関羽(かんう)に殺された事にしようと物語りを組み替えてしまったのです。こうして、顔良(がんりょう)同様に狛犬ならぬ関羽(かんう)の咬ませ犬になった文醜(ぶんしゅう)、、ですが、もし、正史のままの扱いだったら、物語にも昇らずゲームでも地味な扱いだったかも知れませんね、、

 

関連記事:42話:袁紹には悪夢、顔良、文醜が関羽に斬られる

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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