貂蝉(ちょうせん)と言えば、『三国志演義』にのみ登場する架空のヒロインとして知られていますが、
実は昨年、彼女が実在したのではないかとする学説が発表され、注目を集めています。
実は存在した、貂蝉のモデルとなった人物とは。
架空の人物とされる貂蝉ですが、実は彼女のモデルとなった人物が存在していると言われています。
史書『三国志』には呂布(りょふ)が董卓(とうたく)の侍女と密通し、その発覚を恐れて王允(おういん)に相談したところ、
逆に「この機会に董卓を倒してしまえ」とそそのかされた上、それを実行したとする記述があります。
この『董卓の侍女』という女性が、貂蝉のモデルとされているのです。
下邳城陥落後の貂蝉の行方は?
董卓の死後、呂布の妾となったとされる貂蝉ですが、結局呂布との間に子どもが生まれることはありませんでした。
呂布が立てこもった下邳城が曹操によって陥落された以降の貂蝉に関する記述はなく、
結局彼女がどのような運命をたどったかは明らかにされていません。
2014年に発見された竹簡に、驚きの記述が。
2014年12月8日、北京市校外にある您好大学文学部の歴史図書館から、一巻の竹簡が発見されました。放射性炭素年代測定法によって、この竹簡は今からおよそ1800年前、三国時代後期から晋の時代に作られたことが判明しています。
竹簡には、約3000字からなる文章が書かれていました。書き手が精神的にかなり混乱した状況で書かれたものらしく、その字体はひどく乱れているのが特徴ということです。また、竹簡の一部には人血と思しきものが付着し、刀傷と思われる痕跡も確認され、これが戦場で認められた手紙であるという推測の根拠となっています。
同大学の歴史学教授、永降留教授が解読を行った結果、この竹簡は呂布が自分の妾に送った手紙であったことが分かりました。
呂布が妾を倭国に逃がす為に船を用意したとの事
その文面には、呂布が妾を倭国に逃がす為に青州の港に船を用意したことが記されています。
また、この妾には占いの資質があったこと、倭国に渡った後は、その占いの才で生活をしていくようにという、呂布の助言も書かれていたといいます。
呂布直筆の文面が発見されたということも大発見ですが、その内容が貂蝉の実在を示す根拠になるということで、学会から熱い注目を浴びているこの竹簡。
永教授は「大変な発見だ。この人物は倭国に渡った後、卑弥呼になった可能性も考えられる」と興奮気味に語っており、今後の学術調査の結果が待たれるところです。
■追伸
※この記事は2015年4月1日のエイプリルフールなんです。嘘ついてごめんちゃい。
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