赤壁の戦い後、孫権も劉備も、この機に乗じて領土の拡大を狙います。
孫権軍はまず、北上しました。
合肥と九江は曹操の勝利
208年12月、
赤壁の戦い後、曹操が撤退するやいなや
孫権(そんけん)は勢いそのままに合肥(がっぴ)と九江(きゅうこう)に
攻め込みます。
しかし、曹操軍の抵抗が激しかったため、
4か月の抗争ののち、孫権軍は撤退を余儀なくされます。
赤壁で大敗したとはいえ、曹操軍の防衛線がすべて崩れるわけでは
なかったのです。
周瑜は江陵で苦戦
一方、周瑜(しゅうゆ)は江陵に攻め込みました。
江陵は荊州の物資集積地であり、重要拠点でした。
江陵の守備に立っていたのは、
曹操軍の名将、曹仁(そうじん)でした。
周瑜は苦戦します。
曹仁配下の牛金(ぎゅうきん)が、わずか数百人の兵を率いて
周瑜と対峙します。
周瑜はこれを包囲し、牛金を捕らえました。
戦いは周瑜に軍配が上がったかと思ったとき、
曹仁がたった数十人で出撃してきます。
なんと曹仁は、6000騎もの周瑜軍の中から、牛金を助け出すことに
成功します。
曹仁の活躍を見て、兵士たちは
「あの人、ホントは天人だべ」と口々に讃えました。
周瑜は、曹操の置き土産に倒れる
周瑜軍に、曹仁軍が撤退しているという情報が流れました。
見ると、曹仁は三方向の門から逃げ出そうとしています。
周瑜は出陣しました。
韓当(かんとう)、周泰(しゅうたい)らに命じて曹仁軍を追い立て、
西北に追い詰めます。
周瑜は、城門が開かれ、空になった城をおさえようと
自ら城へ乗り込みます。
しかしこのとき、両側から雨のように矢が射かけられました。
さらに周到に落とし穴も掘られていて、
先陣の兵たちは落とし穴に落ち、
周瑜も脇腹に矢傷を負ってしまいます。
実はこれは、曹操の残した策略でした。
「孟徳、置き土産をありがとう!」by曹仁
周瑜は牛金に捕らわれそうになりますが、なんとか脱出。
周瑜軍は、負けてしまいます。
「周瑜が死んだ」
周瑜も負けてはいられません。
今度は、曹仁軍に、「周瑜が死んだ」という偽の情報を流します。
曹仁は、今がチャンスと、攻撃に出ます。
しかしこれは、周瑜の策略でした。
重症の周瑜は自ら指揮を執り、
曹仁軍を散々に打ち負かしました。
一年にわたる激闘の末、周瑜はついに江陵を手に入れます。
しかし、周瑜はこの戦いで受けた矢傷がもとで
病の床につき、まもなく亡くなってしまいます。
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この記事を書いた人:東方明珠(とうほうめいしゅ)
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■自己紹介:
通称「はじさん」のはじっこライター東方明珠です。
普段は恋愛系のノベルやシナリオを書いています。
中国の歴史が大好きで、
ハンドルネームにも上海のテレビ塔の名称を拝借しています。
行き当たりばったりで中国の遺跡を巡る旅をしていましたが、
次は無錫市にある三国志のテーマパーク「三国城」に行きたいです。
■好きなこと(趣味):
本屋さんをはしごすること
■好きな三国志の人物:
孫策と周瑜
■幸せを感じる瞬間
自分の書いた文章に素敵なイラストを描いてもらったとき
■出没場所
動物園
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イラスト担当のよりぶりんです、ご存じの方もそうでない方も名前だけでも覚えて帰って下さいね。
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よりぶりんでした。