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【キングダム】桓騎(かんき)秦を亡命し樊於期と名前を変え秦王に復讐

2015年7月30日


 

桓騎

 

キングダムでは、奇襲、闇討ち、暗殺が得意というトリックスター桓騎(かんき))

捕虜(ほりょ)をいたぶりながら殺すなど、ダークな面が目立ちますが、

その鬼畜(きちく)ぶりに痺れる読者も多く、人気が高いキャラクターです。

 

では、この桓騎(かんき)史実(しじつ)では今後どうなるのでしょう?

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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史実の桓騎も有能で残虐な将軍だった

桓騎 キングダム

 

桓騎の名前が最初に出てくるのは、紀元前237年の始皇帝(しこうてい)10年の事、

この時、桓騎は将軍に任命されています。

 

紀元前237年は、始皇帝23歳の年なので、大体、現在のキングダムと

同じ位の時期に桓騎は将軍になる事になります。

 

桓騎は、その翌年、王翦(おうせん)、楊端和(ようたんわ)と共に

趙の鄴を攻めて、そこで9城を陥落させています。

しかし桓騎は、ここを動かず王翦がその後も戦い閼与(あつよ)や

鄴(ぎょう)を陥落させました。

 

紀元前234年(始皇帝13年)、桓騎は単独で趙の平陽を攻めて、

敵将・扈輒(こちょう)を殺して、敵兵の首を斬ること10万とあります。

しれっと10万と言いますが大変な数です。

史実の桓騎も、秦の六大将軍、白起(はくき)の敵を殺した総数84万人

には及びませんが、優秀で残虐な将軍だったのでしょう。

 

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順風だったのに、趙の李牧に敗れて亡命

桓騎 キングダム

しかし、順調に大将軍になるかに見えた桓騎に落とし穴が待っていました。

紀元前、233年、再び、趙を攻めて平陽(へいよう)武成(ぶせい)を陥落させるも、

宜陽(ぎよう)を攻めて、趙の三大天の1人、李牧(りぼく)に撃破されます。

 

李牧もキングダムに登場しますが、実在の人物で傾きかけた趙を支えた

守城の名人として名前が残っています。

後に出現する楚の項燕(こうえん)大将軍以外では、

この当時秦を撃破した唯一の将軍であり

桓騎は運が悪かったと言えるかも知れません。

 

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性格が悪かったのか?桓騎は許されず燕に亡命する

桓騎に 敗北

 

この敗戦を秦王政は許しませんでした、生命の危機を感じた、桓騎(かんき)は、

名前を樊於期(はんおき)に変えて、秦を亡命し燕に逃げてしまいます。

もちろん、秦に残された桓騎の一族は皆殺しの目に遭います。

 

でも、後に蒙恬(もうてん)信(しん)が、楚に敗れて

20万の軍勢を失った時には、お咎め無しだったのに、

どうして桓騎は許されなかったのでしょうか?

 

やっぱり性格が悪くて個人的に嫌われていたのか?(笑)

 

樊於期、このままでは終わらず、首になって秦王政と御対面

 

燕に逃げた桓騎改め、樊於期ですが、秦王政と仲が悪い、燕の太子

丹(たん)に大切に匿われますが、毎日、満たされない日々を送ります。

 

たった一度の敗戦で、一族を皆殺しにし、自分も殺そうとした

秦王政への恨みが募っていたからです。

 

そんな樊於期に、荊軻(けいか)という刺客が面会を請います。

 

「私は、秦王を討とうと思うが、その為には樊於期(はんおき)将軍、

あんたの首が必要だ、私にくれないか?」

 

荊軻の面構えを見て樊於期は、これは口先ばかりの男ではない

とすぐに見抜きました。

 

「有り難い、どうにか秦王を殺してやろうと思案していた所だ、

俺の代わりに、あの男を殺してくれ!」

 

樊於期は、剣を振りかざすや、自分の首を一撃で刎ねて絶命します。

 

荊軻は、この樊於期の首と、燕の地図を土産に秦に向かいます。

探していた樊於期の首を持ってきたという荊軻に秦王政は、

思わず警戒心を緩めて、宮殿に入れます。

 

荊軻は、おもむろに首になった樊於期を秦王に差しだします。

奇妙な奇妙な、首になった桓騎と秦王政の御対面です。

 

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荊軻、秦王に襲いかかるも果たせず

 

荊軻は、秦王が近づくと匕首で刺そうとしますが間一髪で失敗し

暗殺は果たせませんでした。

 

しかし、トリッキーな戦い方が得意だった桓騎らしく、

自分の首を餌に秦王政に一矢報いようとするとは

彼らしい最期のような気がするのは私だけでしょうか?

 

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