キングダムでは、奇襲、闇討ち、暗殺が得意というトリックスター桓騎
捕虜をいたぶりながら殺すなど、ダークな面が目立ちますが、
その鬼畜ぶりに痺れる読者も多く、人気が高いキャラクターです。
では、この桓騎(かんき)、史実では今後どうなるのでしょう?
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この記事の目次
史実の桓騎も有能で残虐な将軍だった
桓騎の名前が最初に出てくるのは、紀元前237年の始皇帝10年の事、
この時、桓騎は将軍に任命されています。
紀元前237年は、始皇帝23歳の年なので、大体、現在のキングダムと
同じ位の時期に桓騎は将軍になる事になります。
桓騎は、その翌年、王翦(おうせん)、楊端和(ようたんわ)と共に
趙の鄴を攻めて、そこで9城を陥落させています。
しかし桓騎は、ここを動かず王翦がその後も戦い閼与(あつよ)や
鄴(ぎょう)を陥落させました。
紀元前234年(始皇帝13年)、桓騎は単独で趙の平陽を攻めて、
敵将・扈輒(こちょう)を殺して、敵兵の首を斬ること10万とあります。
しれっと10万と言いますが大変な数です。
史実の桓騎も、秦の六大将軍、白起の敵を殺した総数84万人
には及びませんが、優秀で残虐な将軍だったのでしょう。
順風だったのに、趙の李牧に敗れて亡命
しかし、順調に大将軍になるかに見えた桓騎に落とし穴が待っていました。
紀元前、233年、再び、趙を攻めて平陽と武成を陥落させるも、
宜陽を攻めて、趙の三大天の1人、李牧(りぼく)に撃破されます。
李牧もキングダムに登場しますが、実在の人物で傾きかけた趙を支えた
守城の名人として名前が残っています。
後に出現する楚の項燕(こうえん)大将軍以外では、
この当時秦を撃破した唯一の将軍であり
桓騎は運が悪かったと言えるかも知れません。
性格が悪かったのか?桓騎は許されず燕に亡命する
この敗戦を秦王政は許しませんでした、生命の危機を感じた、桓騎は、
名前を樊於期(はんおき)に変えて、秦を亡命し燕に逃げてしまいます。
もちろん、秦に残された桓騎の一族は皆殺しの目に遭います。
20万の軍勢を失った時には、お咎め無しだったのに、
どうして桓騎は許されなかったのでしょうか?
やっぱり性格が悪くて個人的に嫌われていたのか?(笑)
樊於期、このままでは終わらず、首になって秦王政と御対面
燕に逃げた桓騎改め、樊於期ですが、秦王政と仲が悪い、燕の太子
丹(たん)に大切に匿われますが、毎日、満たされない日々を送ります。
たった一度の敗戦で、一族を皆殺しにし、自分も殺そうとした
秦王政への恨みが募っていたからです。
そんな樊於期に、荊軻(けいか)という刺客が面会を請います。
「私は、秦王を討とうと思うが、その為には樊於期将軍、
あんたの首が必要だ、私にくれないか?」
荊軻の面構えを見て樊於期は、これは口先ばかりの男ではない
とすぐに見抜きました。
「有り難い、どうにか秦王を殺してやろうと思案していた所だ、
俺の代わりに、あの男を殺してくれ!」
樊於期は、剣を振りかざすや、自分の首を一撃で刎ねて絶命します。
荊軻は、この樊於期の首と、燕の地図を土産に秦に向かいます。
探していた樊於期の首を持ってきたという荊軻に秦王政は、
思わず警戒心を緩めて、宮殿に入れます。
荊軻は、おもむろに首になった樊於期を秦王に差しだします。
奇妙な奇妙な、首になった桓騎と秦王政の御対面です。
荊軻、秦王に襲いかかるも果たせず
荊軻は、秦王が近づくと匕首で刺そうとしますが間一髪で失敗し
暗殺は果たせませんでした。
しかし、トリッキーな戦い方が得意だった桓騎らしく、
自分の首を餌に秦王政に一矢報いようとするとは
彼らしい最期のような気がするのは私だけでしょうか?
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