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凌統、次々と功績を重ねていく
許された凌統は、董襲(とうしゅう)とともに、208年夏口攻略戦に向かい、敵将、張碩(ちょうけん)を斬る手柄を立てます、間もなく始まった赤壁の戦いにも従軍、その後も周瑜(しゅうゆ)の配下として荊州南郡の攻略にもあたります。この時に甘寧の部隊が敵に包囲されると、甘寧を救いにいく呉の武将の中で凌統自身は本陣を守りました。何となく、仲が悪い甘寧には関わりたくないという気分が透けて見えます。ともあれ、これらの手柄で凌統は、承烈校尉(しょうれつこうい)に昇進します。
西暦215年合肥の戦い
西暦215年、孫権は曹操(そうそう)が漢中を攻略しに向かった隙を突いて、魏と呉の国境である合肥城を10万の大軍で攻めました。凌統も右部督(うぶとく)として従軍しますが、楽勝と考えられた合肥城の攻略は、たった800騎の決死隊を率いた張遼(ちょうりょう)と李典(りてん)の奮戦により、10万の孫権軍が追い詰められるという大敗北になります。
凌統、孫権を逃がす為に囮になる
孫権は張遼の軍勢に追い込まれ、討ち死に寸前まで陥ります。その時、凌統は決死隊、300名を率いて孫権の前に立ちます。
「ここは、私が防ぎます、殿は、一刻も早く退却を!!」
凌統と決死隊は、張遼が率いる魏軍に突撃を敢行し、魏軍を足止めしている間に、孫権は何とか国境の橋を越えて退却する事が出来ました。
「よし、殿は無事に逃れられた、もうひと暴れするか!」
凌統は、孫権を逃がすと、さらに張遼の軍勢に突撃を行います。暴れるだけ暴れた凌統は、部下と共に退却を開始しますが、既に橋は、魏軍の手で焼けおちていました。凌統は、それでもためらう事なく、皮鎧を着たまま河に飛び込み、ようやく、向こう岸に泳ぎついたといいます。
呉軍、凌統の帰還に湧き立つ
孫権は逃れたものの、凌統の事が心配でなりませんでした。誰か河を渡ってくる味方はいないものかと目を凝らしますが河は静かで、誰も渡ってくるものがいません。
「大惨敗だ、、凌統も死んでしまったのか・・」孫権も呉軍も、完全に意気消沈していました。
その時です、呉の陣営がどよめきました。
前方に人影があり、河を必死に泳いでこちらに向かっています。
「あれは凌統だ! 凌統が戻ってきたぞ!!」
それは瀕死の重傷を負いながら執念で河を泳ぐ凌統でした。孫権は直ぐに小船を向かわせて、今にも沈みそうな凌統を救助します。凌統が生きている事が確認されると呉の陣営はまるで戦争に勝ったように明るい雰囲気に包まれました。
「殿・・私以外に、戻った部下は何名おりますか?」
河から引き上げられた凌統は息も絶え絶えで孫権に聴きます。孫権は何も言わず首を振りました。
「皆死んでしまったのですか・・」
凌統の両目から涙があふれました。
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