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『うしおととら』の獣の槍の元ネタは孫子の時代にあった?古代中国の名剣・干将と莫邪

2015年10月19日


 

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うしおととら

 

1990年から週刊少年サンデーに連載されたマンガ『うしおととら』。数々の賞を取り、2015年には25年連載開始から25年越しのテレビアニメ化が実現したこの作品に登場する武器“獣の槍”の元ネタが、古代中国にあったとされる名剣ということを、皆さんはご存知でしょうか?

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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『うしおととら』で語られる“名剣”鋳造の逸話

 

『うしおととら』の劇中、主人公が時を遡ってたどり着くのが「2290年前の中国」です。時代的にはちょうど戦国時代に当たる時期です。ここで主人公が出会った刀工の親子は、王に献上するための剣を作ろうとしていましたが、製造の過程でどうしても剣にヒビが入ってしまい、上手くいきません。落胆する刀工の父親に息子が修行先で聞いた話として教えたのが名剣、干将(かんしょう)と莫邪(ばくや)の逸話でした。

 

一対の名剣

 

干将と莫邪は合わせて一対とされる名剣とされています。剣を作った職人の名前が干将、その妻の名前が莫邪で、その二人の名を取って命名されています。陰陽説に基いて、干将は陽剣、莫邪は陰剣であるとされました。また、それぞれ刀身に、干将には亀裂のような文様が、莫邪には波紋のような文様があったことが外観上の特徴であったとされています。

 

“干将”と“莫邪”にまつわる逸話

孫武 ゆるキャラ

 

“干将”と“莫邪”が作られたのは、現代からおよそ2500年前、『うしおととら』の劇中の時代からは約200年ほど前、春秋時代の呉の国でした。その時代の呉は、六代目の、闔閭(こうりょ)が統治する時代でした。闔閭には、伍子胥(ごししょ)や孫武(そんぶ)といった臣下が仕えており、呉はその時代隆盛を誇っていました。孫武とはあの「孫子」の作者とされる人物です。

 

あるとき、闔閭は名工として知られる干将に二振りの剣を作るように命じます。干将は国中から最高の素材を集め、剣造りに最高の条件を整えて剣の鋳造に挑みました。しかし、急に気温が下がったことから鉄が溶け合わず、作業は三ヶ月経ってもなおはかどりませんでした。困り果てた干将が思い出したのは、自分の師匠のことでした。

 

髪と爪を炉に投じて剣を作る

 

かつて、干将の師匠は今の干将と同じような苦難にあったとき、夫婦ともども炉の中に身を投じて鉄を溶け合わせさせました。干将はそのことを思い出し、妻である莫邪に髪と爪を炉に投じるよう命じます。さらに、三百人の弟子にふいごを吹かせたところ、鉄はようやく溶け合い見事な一対の剣を作ることに成功しました。その出来栄えのあまりの良さから、干将は陽剣を手元に残し、陰剣のみを闔閭へ献上したといいます。

 

やがて、闔閭は魯の国から来た使者にこの莫邪を与えようとしましたが、刀身に刃こぼれがあることに気づいた使者は呉がやがて滅亡することを予感し、剣を受け取ろうとはしませんでした。

 

 

“呪われた剣”としてのイメージ

 

上記の話は『呉越春秋』(ごえつしゅんじゅう)という書物に書かれているものですが、他の書物では物語の舞台は呉ではなく(そ)の話であるとする説もあります。その書物によれば、干将は剣の献上が遅れたこと、更に一対の剣の片方を隠したことに逆上した楚王によって処刑されてしまいます。

 

干将が死んだ時、莫邪がみごもっていた子である赤(せき)は成長してからこのことを知り、父の隠していた陽剣を見つけ出して復讐を誓いますが、逆にそのことを知った楚王によって終われ、山へと逃げ込みます。父の仇を取ることかなわず、赤が嘆き悲しんでいるところに旅人が通りかかります。事情を知った旅人は『代わりに仇を取ってお良いがそのためにはお前の首が必要だ』とお言います。赤は旅人が約束を守ると誓うと、自ら首を刎ねて死にました。

 

赤の首を持った旅人は楚王に献上し、『熱湯で煮て溶かさなければならない』と告げます。楚王は言われた通りに赤の首を煮えたぎる釜に入れますが、いつまでたっても溶けません。旅人から「王が上から良く見ればきっと溶けるでしょう」と言われた楚王が釜を覗き込んだその時、旅人は隠し持っていた陽剣で王の首を刎ね、そして自分の首も刎ねてしまいました。

 

3つの首はすべて釜の中で融け合ってしまい、臣下のものは致し方なくそれらをまとめて葬ることにしました。この墓は“三王墓”と呼ばれ、現在も存在しています。

 

妹を溶かした鉄から作り上げられた“獣の槍”

 

干将と莫邪にまつわる説話は、形を変えて『うしおととら』の設定に生かされています。“白面の者”と呼ばれる妖怪に父と母を殺された刀工は、妹が身を投じた炉で溶かした鉄で短剣を作り、自らはその柄となって、一本の槍となります。これが後の時代に“獣の槍”と呼ばれるようになるのです。

 

数多くのフィクションに登場する干将と莫邪

 

干将と莫邪の名前を持つ武器は、数多くのフィクションに登場しています。それは二つの剣が一対であることや、その製造や後の復讐にまつわる逸話が印象的であることが影響しているかもしれません。フィクションに登場する“干将”と“莫邪”の設定と、古代中国に伝わる逸話との違いを調べてみるのも、面白いかもしれません。

 

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三国志ライター 石川克世のぶつぶつタイム

石川克世

 

ちなみに、“干将”と“莫邪”はその出典元の記述などから、日本刀のような打ち鍛える鍛冶製法ではなく、鋳造して作られた剣(鋳剣)であると考えられています。私達が知る日本刀よりもだいぶ肉厚な剣であったと想像されます。

 

それでは、次回もお付き合いください。再見!!

 

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石川克世

石川克世

三国志にハマったのは、高校時代に吉川英治の小説を読んだことがきっかけでした。最初のうちは蜀(特に関羽雲長)のファンでしたが、次第に曹操孟徳に入れ込むように。 三国志ばかりではなく、春秋戦国時代に興味を持って海音寺潮五郎の小説『孫子』を読んだり、 兵法書(『孫子』や『六韜』)や諸子百家(老荘の思想)などにも無節操に手を出しました。 好きな歴史人物: 曹操孟徳 織田信長 何か一言: 温故知新。 過去を知ることは、個人や国家の別なく、 現在を知り、そして未来を知ることであると思います。

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