皆さん蜀で思いつく武将は誰がいますか。劉備(りゅうび)・関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)をはじめ、孔明(こうめい)や馬超(ばちょう)、そうそうたるメンバーがいる中、今回紹介するのは廖化(りょうか)です。
誰って思う方がいっぱいいると思います。彼は蜀漢成立から滅亡するまで戦い続けた将軍です。
この記事の目次
廖化は呉軍に降伏するが・・・
廖化ははじめ関羽の家臣として、荊州攻略戦に従軍します。関羽は荊州全域を攻略する目前で、同盟国であった呉軍の裏切りにより、敗北します。
劉備の元へ帰参
廖化は呉軍に降伏します。ですが主君である劉備を裏切る事ができず、自分が死んだと呉軍の軍中に流した後、荊州に居た母親を連れて、益州へ向かいます。廖化は益州に向かう途中で、呉軍討伐の軍を率いていた蜀軍と合流し、母親を益州に向かわせ、彼はそのまま従軍します。蜀軍は夷陵で大敗北し、蜀軍とともに彼も退却し、無事益州に帰り着くことができました。廖化は劉備の死後、諸葛孔明の参軍となり、北伐に参加し、着実に武功を重ねて行きます。
ミスのない戦い方が定評に
廖化は孔明の死後、陰平の太守(日本の戦国時代でと大名のようなもの)に任命され、魏の領土に攻撃を仕掛けます。魏は援軍を差し向けますが、彼は見事に撃退し、将軍一人を討ち取る大功を立てます。その後、姜維(きょうい)が蜀軍を率いて北伐を開始した時、彼も共に従軍します。
魏の総司令官・郭淮に何度も敗北
魏の対蜀戦線の総司令官郭淮(かくわい)と幾度も戦いを繰り広げますが、蜀軍は幾度も敗北してしまいます。廖化は華々しい戦功を上げることはあまりありませんでしたが、大きなミスを侵さず、そつのない戦い方が蜀の陣営の中で評価されます。
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