この記事の目次
- 1ページ目
- 真田信繁の影武者になった、真田十勇士 穴山小助(あなやまこすけ)
- また、ライターkawausoがとばし記事を書いたぜww
- 真田信繁、影武者を幾人も造り、大阪夏の陣に臨む
- 家康さえも分からない信繁の首だが・・
- どっこい生きていた真田信繁は、豊臣秀頼を背負い、薩摩に逃れる
- 秀頼は身長196センチ、体重161キロのレスラー体格
- 真田信繁が、薩摩に落ちのびた事を記す 真田三代記
- 2ページ目
- 真田信繁が住んだ、鹿児島県の 頴娃(えい)村
- 険しい山道も安心、雪丸のレンタル杖
- いよいよ、真田信繁の墓 何故か小石が・・
- セルフ記入 真田墓を訪れた人記入ボード
- 真田丸ライター kawausoの敗戦の弁
- 伝・真田幸村墓までのアクセス方法
真田信繁が住んだ、鹿児島県の 頴娃(えい)村
ところが、実際に、薩摩、現在の鹿児島県には、真田信繁が住んだ、
と言われる場所と墓が存在しています。
それが、現在は南九州市になっている頴娃という土地です。
薩摩半島の南端に位置する頴娃には、雪丸という地名があります。
そこには、真田信繁が使用した井戸、真田の秘水や
真田信繁の墓までが、しっかりと存在しているのです。
驚くべきことに、この雪丸という地名さえ、真田幸村のゆきむらを
もじったものだというのだから驚きです。
険しい山道も安心、雪丸のレンタル杖
真田信繁の墓のある雪丸は結構な山の中です、そう聞くと、
足腰に自信がない人は敬遠するかも知れませんが、
それこそ、心・配・御・無・用です!(NHK大河「秀吉」より)
雪丸には、雪丸育英会が無料でレンタルしている杖があるので、
山道も危険なく進む事が出来るのです。
これは、九度山に幽閉されている頃も、農民には優しく接したという、
信繁の教えが生きているのでしょうか?
私はそう思います、そうに違いないのです。
いよいよ、真田信繁の墓 何故か小石が・・
しばらく進むと仏塔のような形の真田墓が見えてきます。
有り難い気持ちを胸に手を合わせると、おや、何故か、墓には、
小石が並べられています、これはどういう意味があるのでしょう?
もしや、信繁の無念を石を積む事で晴らしているんでしょうか・・
セルフ記入 真田墓を訪れた人記入ボード
雪丸の人々は、何だかんだで、真田墓の事を気に掛けているようです。
墓の横には、ホワイトボードがあり、県内・県外、男・女という
かなりザックリしたカテゴリで、墓を訪れた事を記録する人をカウントしています。
きっと、まとまった人数が来た所で墓前に報告するのでしょう。
またホワイトボードの隅には、
「幸村プロジェクトやってみよう課」という
謎の行政機関の名称が記録されています。
「幸村プロジェクト」とは何でしょうか?え?大河ドラマ便乗ですって?
いや、NHK大河に便乗するならそれは真田丸プロジェクトか、
真田信繁プロジェクトになる筈です。
もしや、400年の信繁公の恨みを晴らすような巨大な計画が、
こののどかな村で蠢(うごめ)いているのでしょうか?
もし、そうなら、これは、はじさんHMRの出番になるのですが!!
真田丸ライター kawausoの敗戦の弁
読者のみなさんの中には、、このように感じる方もいるでしょう。
「kawausoって、信憑性が弱い記事だと、すぐ笑いに逃げるよなww」
お答えしましょう、はい!その通りです。
しかし、義経伝説といい、信長は死んでいない伝説といい、
西郷はロシアに逃れた説といい、日本人は悲劇の英雄をひいきして、
その死を認めない傾向があるようですね。
じゃあ、またニャー!再見!!
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伝・真田幸村墓までのアクセス方法
(はじめての三国志代表おとぼけと真田墓)
〒 891-0702
鹿児島県南九州市頴娃町牧之内雪丸
カゴシマケンミナミキユウシユウシエイチヨウマキノウチユキマル
頴娃町のガイドマップは下記でも確認できます。
鹿児島空港からの距離 73.1km
鹿児島空港からの所要時間 約78分
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