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呉の初代丞相・孫卲(そんしょう)は「正史三国志」に記されていないのは何で?

2016年2月16日


 

孫呉(孫権黄蓋陸孫周瑜周泰) 

 

呉は建国から滅亡までに10人の丞相を立て、政治を任せてきました。陳寿(ちんじゅ)は10人中7人を三国志の書物の中に伝記を記しています。しかし彼はなぜか初代丞相の伝記を作りませんでした。今回はなぜ陳寿が呉の初代丞相の伝記を作らなかったのかを調べてみました。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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伝記が無い3人

 

呉は歴代で10人の丞相を任命しています。その中で孫卲(そんしょう)と万彧(ばんいく)、張悌(ちょうてい)三人の伝記が三国志の呉の伝記にありません。陳寿は万彧と張悌の伝記を作らなかった理由は明確です。

 

それは呉の滅亡寸前の時期に差し掛かっていたためです。国の政治を取り仕切るトップでありながら、国を救えなかった丞相であるため、記載しなかったのです。しかし初代丞相である孫卲の伝記が正史の三国志に無いのはどうしてなのでしょうか。

 

陳寿が伝記を作らなかった訳

 

それは呉の歴史書を作った家臣に原因がありました。孫卲は呉の家臣である張温(ちょうおん)と仲が非常に悪く、会う度に喧嘩を繰り広げる程の険悪さでした。張温が亡くなると彼の家は息子が継ぎます。張温の息子は呉の歴史書を製作している韋昭(いしょう)と友人でした。韋昭も張温と同様に孫卲を嫌っていたため、彼は呉の歴史書に孫卲の名前を入れず完成させたのです。陳寿は正史三国志を作る際、韋昭が完成させた呉の歴史書を参考にして、編集しています。正史三国志に孫卲の列伝が無いのは呉の歴史書に記されていないため、陳寿は彼の伝記を作りませんでした。

 

「呉録」に記載あり

 

では初代丞相である孫卲の伝記は何処にも残っていないのでしょうか。そんなことはありません。「呉録」と言う呉の情報をかき集めた書物の中に、少しだけ彼の経歴が残されていました。

 

呉の初代丞相である孫卲とは一体何者

 

ここからは三国志に記されていない呉の初代丞相である孫卲を紹介していきたいと思います。孫卲は孫の名がついておりますが、彼の生まれは北海の生まれです。そのため呉の孫家とは関係ありません。身長は190㎝と当時としてはかなり大柄な人物で、孔子の末裔である孔融(こうゆう)から「朝廷に仕える事が出来るなら、彼は政治の場で活躍する事が出来る人物である」と評しており、若い頃から優秀な人物でありました。

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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