周瑜の名言から知る三国志の世界「人生れれば死あり。修短は命なり」





周瑜の魅力02

 

この名言は赤壁の戦いで曹操軍に大勝利を収めた呉の大都督周瑜(しゅうゆ)の名言です。

大都督周瑜は赤壁で曹操軍に勝利すると、曹仁(そうじん)が籠る江陵を包囲。

周瑜は一年かけて江陵を陥落させ、彼が夢見た天下二分の計の足掛かりを作ります。

しかし彼は江陵攻略戦の後、亡くなります。

今回の名言は彼が孫権に送った遺言の冒頭部分に書かれた

「人生まれれば死あり。修短は命なり」を紹介します。




夷陵(いりょう)の戦い

周瑜 死

 

周瑜は赤壁の戦いで勝利を収めると、間髪を入れず江陵へ侵攻します。

江陵を守るのは曹家の鉄壁曹仁です。

周瑜は江陵に猛攻をかけますが、曹仁の鉄壁に阻まれ中々上手くいきません。

そのため彼は猛将甘寧に夷陵を占領するよう命じます。

曹仁は甘寧が夷陵を奪い取ったと知ると、夷陵攻撃の軍を送ります。

周瑜は曹仁が夷陵へ進軍したと報告を得ると、凌統を江陵包囲に残し、

全軍を挙げて甘寧を救援するために援軍を送ります。

呉軍は曹仁軍の兵士を数万人捕虜にする大勝利を得ます。




 

 

江陵攻略戦

周瑜くやしい 呉

 

周瑜は夷陵の戦いで、曹仁軍に大勝利を得て再び江陵包囲陣に戻ります。

彼は江陵の兵士が激減している今こそ勝機と見て、

曹仁が籠る江陵へ総攻撃を開始。

曹仁は少ない兵で呉軍の総攻撃を防ぎ、周瑜を負傷させます。

周瑜はわき腹に矢を受けますが、江陵へ再度総攻撃をかけ、

ついに江陵を陥落させます。

しかし周瑜が受けた傷は深く、後にこの傷が致命的になります

 

劉備の台頭

陸遜 劉備

 

呉は大都督周瑜の執念によって江陵を奪い、北荊州の足掛かりを作ります。

周瑜が苦労している間に南荊州で想定外の事が発生します。

周瑜と曹仁が死闘を繰り広げている間に、同盟者である劉備は

南荊州全域を奪取していたのです。

呉の大都督である周瑜は劉備が南荊州全域を領土とし、力を付けて来た事に、

危機感を覚えます。

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