【衝撃の事実】赤壁の戦いに色をつける!袁術の音楽隊が大活躍していた!?

はじめての三国志_ページネーション

こちらは2ページ目になります。1ページ目から読む場合は、以下の緑ボタンからお願いします。

袁術の音楽隊が大活躍していた!?(1P目)


赤壁の戦いを取り上げた鼓吹曲

赤壁の戦い

 

呉の鼓吹曲の第四曲「烏林、曹操すでに荊州を破り、流れにしたがいて東に下り、来たりて鋒を争わんとす。大皇帝は将の周瑜に命じて、これを烏林にむかえて撃ち破り走らしむを言うなり」と、題された曲には、

 

曹操北伐 抜柳城 (曹操は北伐して、柳城を抜き)

乗勝席巻 遂南征 (勝ちに乗じて席巻し、ついに南征する)

劉氏不睦 八郡震驚 (劉表の子らは不仲で、荊州八州は震え驚き)

衆既降 操屠荊  (みな降伏したが、曹操は虐殺を敢行)

舟車十万 揚風声 (舟車十万の軍が風音をあげて呉を攻め)

議者狐疑 慮無成 (臣下たちはためらうばかり、計略はならず)

頼我大皇 発聖明 (さいわい我が大皇帝孫権さまのご聖明なるご判断で)

虎臣雄烈 周与程 (虎のように勇猛な周瑜と程普が)

破操烏林 顕章功名 (曹操を烏林に破って、輝かしい功名をあげた)

 

と、自国の栄えある歴史を誇らしげに歌っています。魏では、敗北した赤壁の戦いを後世に残すような歌は決して作ってはいません。汚点は無視する。それはどの国でも同じです。

 

関羽 死

 

呉の第七曲は、関羽を裏切者扱いにし、捕らえて勝利した歌です。

 

呂布 あっけない 最後

 

魏の第三曲は、呂布を生け捕りにした歌。しかし第二曲では、曹操は徐栄の兵に敗れたはずなのに勝ち戦のように讃えた歌になっています。

 

孔明過労死

 

晋の第二曲は、孔明が司馬懿の威勢をおそれて死んでしまう歌です。このように、鼓吹曲は自国の都合のよいように作られています。己が王朝の価値を高めるのに、歴史を再構築するのは今も昔もかわりませんね。


蜀には残っていない

曹操 孔明をチェック

 

味方を奮い立たせるだけでなく、自国の宣伝効果も強い鼓吹曲ですが、魏も呉も晋もみな残されているのに、なぜか蜀のものだけは歴史から消えています。孔明が意図して作らせなかったのかもしれません。こういうパフォーマンスは苦手だったのかもしれませんね。三国志のミステリーのひとつです。


三国志ライター ろひもと理穂の独り言

袁術 伝説 ゆるキャラ

 

きっと袁術軍にも鼓吹曲があったのでしょうが、残念ながら残ってはいません。袁術自らが作詞を担当していたかも・・・想像は膨らみます。呉の鼓吹曲を作詞していたのは韋昭という、当時一流であった文士です。ちなみに韋昭といえば、「呉書」の作成を命じられた人物でもあります。彼は袁術死後に生まれた人物で、直接袁術とは係わりがありませんが、おそらく袁術軍から吸収し、存続し続けた音楽隊の影響を強く受けたに違いありません。

 

関連記事:レッドクリフを100倍楽しむ!赤壁の戦いを分かりやすく徹底紹介!

関連記事:周瑜(しゅうゆ)ってどんな人?赤壁の戦いで曹操軍を破った智将軍

関連記事:赤壁の戦いで孔明が東南の風を吹かしたじゃん?あれマジらしいよ?

関連記事:赤壁の戦いにモデルがあった?八陽湖の戦い

 

袁術のトホホな逸話
袁術祭り

 

 

< 1

2

関連記事

  1. 劉邦
  2. 孔明インタビュー
  3. 孫尚香
  4. 魏三国時代の兵器(魏軍合体ロボ) 曹操
  5. 車に乗る諸葛亮(孔明)
  6. 王族ボンビーから一転セレブ01 董太后(女性)

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。


はじめての三国志企画集

“はじめての三国志企画特集"

3冊同時発売

“脱税の歴史

“三国志人物事典"

“ながら三国志音声コンテンツ"

ASMR

PAGE TOP