Round1は関羽(かんう)の辛勝で岳飛(がくひ)に勝ちました。
さてRound2は関羽と岳飛どちらが名将にふさわしいか対決を行いたいと思います。
最初は関羽からです
前回記事:【神になった名将対決】劉備三兄弟の一人関羽VS救国の英雄・岳飛 Part.1
この記事の目次
ほぼ負けなしの戦歴
関羽の戦歴はほとんど敗北を知らず、
三国志屈指の勝率を誇る名将です。
負けに入るのは徐州の戦いと荊州での敗北ぐらいだと思われます。
関羽の敗戦その1:徐州の戦い
張飛(ちょうひ)と共に小沛(しょうはい)城に入って、曹操軍に備えます。
関羽は下邳(かひ)城に駐屯します。
劉備と張飛は曹操自ら軍を率いてくると、一戦して敗北。
劉備と張飛は曹操軍の追撃が厳しくバラバラになって逃走。
曹操は劉備を蹴散らすと小沛を取り戻した後、
関羽のいる下邳城に進撃。
関羽は死を覚悟し、出陣を決めますが、劉備夫人を人質に捕らえられていた事が原因で、
曹操に降伏します。
彼の戦歴で負けといえるのはこの戦いと荊州攻略戦くらいです。
関羽の敗戦その2:呉軍との戦い
関羽は劉備に荊州の軍事・政治を任せられます。
そして劉備が漢中を曹操軍から奪い取った翌年、荊州北部にある魏領へ侵攻を開始。
関羽は魏の樊城を包囲。
彼は援軍に来た曹操軍の于禁(うきん)を捕虜にし、
于禁の武将である龐徳(ほうとく)を討ち取る戦果を挙げます。
こうして順調に樊城攻略戦は推移していきます。
しかし突如呉軍が劉備との同盟を破棄し、荊州へ侵攻を開始。
瞬く間に劉備の領地であった江陵・公安などが占領されます。
関羽は樊城の包囲を解いて、江陵にめがけて撤退を開始。
しかし関羽の軍勢は樊城を包囲していた時から兵は激減。
樊城と江陵の中間地点にある麦城(ばくじょう)に着いたときは、
数千程度に減っていました。
そのあと麦城を脱出した呉軍の伏兵にあってしまい捕らえられ、
そのまま帰らぬ人となってしまいます。
魏の諸将からも名将としてたたえられる
関羽は魏の武将達から大いにたたえられ、
孫権陣営の人々も彼を畏怖と尊敬の念を抱きます。
また文帝である曹丕(そうひ)は劉備が復讐を行おうとしていると聞き、
配下の劉曄(りゅうよう)に「劉備は呉に攻め込むかね」と質問します。
すると劉曄は曹丕に「劉備の配下で名将と言える人物は関羽しかおりません。
さらに荊州を失ったことで国力は大いに衰えているはずです。
このような状態で、呉に挑みかかっても勝てますまい」と答えます。
曹丕は彼の答えを聞いて満足げにうなずいたそうです。
このように敵からも尊敬された関羽は間違いなく三国志の中でも屈指の名将と
言っても過言ではないでしょう。
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