【キングダム時代考証】漫画の描写は嘘?ホント?キングダムの史実による歴史考証

2016年5月29日


 

 

大人気、春秋戦国時代漫画、キングダムですが、

歴史好きが気になるのが漫画で描かれる、2200年前の時代考証でしょう。

「どうせ、漫画だから細かい所は突っ込まないでおこうぜー!!」

とは言っても、やはり気になる、本当はどうだったのか?

はじめての三国志』では、ウソ・ホントで時代考証してみます。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



馬が鎧を着ているのは、ウソ・ホント?

王騎 キングダム

 

キングダムと言えば、超派手な武将に目が行きがちですが、、

負けずに派手なのが、馬達でしょう。

キングダムの武将達が騎乗する馬は、すべて異様な仮面をかぶっていたり

全身を鎧に覆われていますが、これは歴史の事実なのでしょうか?

 

 

実は、これ、ウソなんです!!

 

馬の体を鎧で覆うようになるのは、キングダムの時代から、

600年以上先の5世紀の南北朝時代だと言われています。

何と、三国志の時代よりも後なんですね。

 

 



信が着ている鉄の鎧はウソ・ホント?

信 キングダム

 

キングダムの主人公の一人、信(しん)は、初期は庶民の衣服に、

剣一本で戦っていましたが、今では五千人将になり、

鉄製の青い鎧を着込んで、なかなかカッコ良くなっています。

 

では、問題、信の鎧は、本当に鉄で出来ていたのでしょうか?

 

 

正解は、△です!!!

 

この時代、鉄の鎧は実在していたようですが、

鉄の小札と紐で組んだ鎧というより、皮の鎧の上に鉄の小札を

紐で縫いつけたような鎧があったようです。

信の鎧を見る限り、鉄の板同士を直接、紐で結んでいるような感じですので、

正確には違うような感じもします。

 

信の鎧は、こちらの前漢時代の騎兵の鎧に近いような気がするのですが、

 

 

まあ、完璧に違うとも言い切れないので△という事にします。

 

また当時は、鉄より青銅の方が柔らかい分は加工がしやすく

黄金色に輝くという美点から愛用する将軍が多かったようです。

金色に輝く鎧を着ているキャラは、青銅の鎧と認識して間違いないです。

 

関連記事:キングダム(春秋戦国時代)には核兵器は存在した?葵丘の盟とオバマ大統領の広島訪問

関連記事:これであなたも知ったかぶり!春秋時代をザックリ紹介!

関連記事:【徹底分析】キングダムを書いた原泰久はココが凄い!原先生の意外な側面10連発

 

 

異常な高さの函谷関(かんこくかん)、あれは、ウソ・ホント?

函谷関

 

漫画では、趙の三大天、李牧(りぼく)が率いる、

五カ国合従軍50万に攻められ続ける秦国の玄関である函谷関。

漫画では、その尋常ではない城壁の高さが印象的でしたが、

あんなに高い城壁なんか、2200年前にあったのでしょうか?

 

はい!意外かも知れませんが、本当です!!

 

実は函谷関は、秦の時代のモノと漢の時代のモノがあるのですが、

秦の時代のモノは、高さ60メートル以上もあり今でも現存しています。

中国の土は黄砂という細かい砂で、足で踏み固めると、

どこまでも、密度が高くなり、堅くなっていきます。

 

この性質を利用して、木枠に土を詰めて、

足で踏んで固める版築(はんちく)という工法を繰り返す事で、

かなり高い城壁でも築けるのです。

中国の華北地方は雨も少ないので、土の城壁でも溶けません。

秦の時代の函谷関が今でも残るのは、その為なのです。

 

関連記事:キングダムでお馴染みの秦の函谷関ってホントに難攻不落だった?函谷関に隠された秘密

関連記事:【キングダム】李牧(りぼく)とはどんな人?趙国最後の守護神・三大天

関連記事:【キングダムネタバレ】ちょ~先読み!桓騎(かんき)李牧(りぼく)に負ける!宜安の戦いを徹底解説!

 

 

料理の名人、河了貂の料理はウソ・ホント?

河了貂

 

飛信隊の軍師、河了貂(か・りょうてん)の知られざる特技は料理です。

漫画では、中華料理のように短時間でパパッと造られている感じですが、

このような調理法は、ウソでしょうか?ホントでしょうか?

はい、これは、ウソです!!

 

秦の時代は竈(かまど)の技術が不十分で、新鮮な空気を送り込む、

鞴(ふいご)のシステムも庶民生活には普及していませんでした。

煙突の排煙能力も低く、勢い良く煙を流すと、

同時に煙突内に火も回り台所が火事になったりしました。

 

また、強い火力を維持する木炭のような燃料も

貴族などしか使えない贅沢品だったので庶民の家で、

火が勢いよく吹きあがるような火力は実現出来なかったと思います。

 

秦の時代の主な調理法は、小さい火力でも出来る、

煮る、炊く、蒸す、炙るで、短時間でサッと出来る、焼くや

油で揚げるという調理法はもっと後の時代のものなのです。

 

関連記事:三国時代やキングダムの時代にもお風呂はあったの?

関連記事:漫画潰す気か!原作者ブチ切れ必至のキングダムの最後をネタバレ予想!!

関連記事:キングダムの羌瘣(きょうかい)は実在したの?飛信隊の美女にはモデルが存在した!

 

 

キングダムライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

キングダムは、当初、時代考証を重視していましたが、

戦国時代末の時代は、資料が少なく分らない部分が多く、

それだと不明な点は絵に出来ない事になり制約が多くなるので、

途中から、漫画だと割り切ってイメージで描いています。

 

もし、厳密に時代考証に拘ったら、絵は勢いを無くし、

ここまで人気も出なかったかも知れませんね。

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-春秋戦国時代
-, ,