【キングダム】趙の慶舎(けいしゃ)は実在したの?史実を元に真実の姿を解説

2016年6月21日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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漫画では、黒羊丘の戦いでの趙の総大将だった慶舎(けいしゃ)、、

本能型武将ならではの先が読めない戦術で桓騎(かんき)を翻弄しましたが、

一瞬の隙を突かれて飛信隊に追いつかれ、激戦の末に信に斬られました。

いまでは、故人になってしまった慶舎は、本当はどんな武将だったのか、

はじさんでは、追悼の念を込めて真実の姿を追います。

 

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個人伝は存在しない武将・慶舎・・

 

 

慶舎には列伝がありません。

つまり、彼単体で語られるページがなく、

他の人との関係で名前が出てくるという形です。

 

彼の名前が出てくるのは、史記の趙世家編で2か所あります。

最初は、紀元前256年、趙の孝成(こうせい)王の10年の項に、

趙將樂乘、慶舍攻秦信梁軍,破之という記述、

 

2回目は、紀元前240年、趙の悼襄(とうじょう)王の5年の項に、

慶舍將東陽河外師,守河梁という記述です。

 

短いですが、これだけ見ても、慶舎は実在した将軍という事が

はっきりすると思います。

 

史実では、張唐、王齕を撃退して、領土を回復した名将軍

 

 

さて、実際の慶舎将軍は、どのような手柄を立てたのでしょうか?

紀元前256年、秦の昭襄王の50年、秦は王齕(おうこつ)が

張唐(ちょうとう)に従い、趙の寧新中(ねいしんちゅう)を抜いて、

名前を安陽と改めました。

 

王齕は分るけど張唐って誰?

キングダムと三国志

 

ここで出てくる張唐将軍は、皆さん聞き覚えがないかも知れませんが、

キングダムでもシッカリ出てきます。

そう、合従軍編で函谷関を守った、あの白髭頑固爺の張唐将軍です。

 

合従軍編では、韓の成恢(せいかい)の悪魔の毒霧を食らって、

余命幾ばくもなくなってしまい、桓騎大活躍の陰で存在感が薄い

張唐将軍ですが、ここではバリバリ全開!!

戦の采配がおもわしくない六大将軍の王齕に代わって指揮をとり

寧新中を抜いているのです。

 

うん、やはり、張唐将軍、合従軍編では年を取り、

かなり耄碌(もーろく)しただけで本来は名将軍に違いありません。

 

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趙は、樂乗と慶舎、及び四カ国連合軍で反撃

 

 

もちろん、これで黙っている趙ではありません。

この2年前に邯鄲を秦に包囲されたりしていて、国力はかなりキツいのですが

そこは踏ん張り、慶舎及び、樂乗(がくじょう)の両将軍を派遣しています。

樂乗は、キングダムのレジェンド、樂毅(がくき)将軍の子です。

さらに同年には、趙の窮地を救うべく、韓と魏と楚が援軍を出しています。

形として、趙、韓、、楚の四カ国連合軍となった趙に、

秦軍は敵わないと判断して兵を引きました。

 

慶舎と樂乗のコンビによる勝利です。

 

どうして、韓・魏・楚が援軍を出したのか?

 

 

 

この戦いより2年前に秦は趙の都、邯鄲を大軍で包囲しました。

その時に、秦の脅しに屈せずに、魏の信陵君(しんりょうくん)

独断で兵を動かして趙を包囲する秦を攻撃し、趙も平原君(へいげんくん)

城内から呼応、、さらに楚の春申君(しゅんしんくん)も援軍に参加しています。

 

この時も秦は敵わないと考えて邯鄲の包囲を解いて撤退しました。

その同盟が、まだ生きていたのでしょう。

 

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慶舎の記録が途絶えるのは?

 

 

慶舎の記録が途絶えるのは、紀元前240年、趙の悼襄王の5年です。

この年、慶舎は東陽と河外の兵を率いて、黄河の梁(橋)を守ったとあります。

黄河の橋という事は、西の秦の侵攻に備えてという意味でしょう。

 

これは、慶舎が、それまで重ねた戦歴が評価されたという事です。

六大将軍の一人の王齕と張唐まで、撃破したのですから、

漫画に劣らず優れた将軍だったと言えます。

 

紀元前240年には、あのイケメン傅抵も歴史に登場・・

 

 

同じ年には、合従軍編のラストに登場した、イケメン武将の

傅抵(ふてい)が将軍に任命され、平邑に配置されたとあります。

平邑は、だいぶ北なので、秦に備えるというよりは、

北方の異民族対応のようです。

意地悪な見方をすると、まだキャリアが足りず、秦方面の戦いは

任せられないと判断されたのかもです。

 

キングダムライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

慶舎は、記録が途絶えただけで死んだとはされていないので、

キングダムでの動きは作者のオリジナルという事になりますね。

死んでしまいましたが、桓騎を欺き、信や河了貂を窮地に

追いやるなど手ごわい相手でしたね。

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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