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何で曹操はあれだけ関羽を愛していたのに配下から逃がしたの?

2016年9月29日


 

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司馬朗 曹操

 

身分や家柄に捉われずに優秀な人材を重く用いて最強の陣営を築いた曹操(そうそう)

敵の降将を起用することも多々あります。

呂布(りょふ)の配下だった張遼(ちょうりょう)張繍(ちょうしゅう)の配下だった賈詡(かく)

楊奉(ようほう)の配下だった徐晃(じょこう)袁紹(えんしょう)の配下だった張郃(ちょうこう)など

その後の曹操の国造りに欠かせない人材ばかりです。

 

曹操は関羽をGET

 

無論、劉備の配下だった関羽(かんう)も曹操にベタ惚れされた人材のひとりです。

曹操は関羽の能力を最大限に引き出そうとあの手この手を尽くします。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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関羽が曹操を惹きつけた魅力

関羽 曹操 ゆるキャラ

 

関羽の特筆すべき能力はふたつです。

 

  • 当時の最強レベルに匹敵する武勇の持ち主であること。
  • 曹操からの贈り物をすべて封印し、ひたすら主君である劉備に尽くそうとする忠義心。

この二点が異常なまでに高かったのが関羽です。

人好きな曹操から見ると絶対に手ゴマにしたい人材であったに違いありません。

 

曹操と関羽の関係

曹操 関羽LOVE

 

当時、関羽の主君である劉備は曹操を裏切り徐州で独立。

さらに曹操に攻められて敗北し、北の袁紹を頼って逃げています。

関羽は城を守っていましたが、張遼の説得もあり、

劉備の妻子を守る形で曹操に一時降伏します。

普通に考えると裏切者の妻子を許すことなど考えられませんが、

そこは曹操の懐の広さです。劉備の妻子を丁重に保護します。

関羽は主君の妻子を守護する役目を担って、

曹操の配下のような形で仕えることになります。

 

関羽の降伏の条件

関羽 3つの条件

 

関羽は曹操に降る条件として、劉備の妻子を丁重に扱う事を約束させていました。

また、劉備を裏切ることをせずにいずれ劉備のもとに戻ることも告げています。

関羽が劉備存命の情報をどこで聞きつけたのかは諸説あります。

袁紹との戦いに出陣した関羽は曹操への恩返しのために健闘します。

このとき関羽は曹操より偏将軍に任じられていました。

白馬県に攻め込んできた袁紹軍の大将は猛将として名高い顔良(がんりょう)です。

関羽が劉備が生きていることを知ったのはこの時だとされています。

 

顔良を斬って恩に報いる

関羽 一騎当千

 

関羽は敵陣の大将めがけて一気に駆けて顔良を斬り捨て、

その首を持ち帰ったとされています。

話によると顔良は袁紹の陣営に身を寄せていた劉備より関羽の話を聞いており、

劉備が存命で袁紹陣にいることを関羽に告げようとして隙が出たところを

関羽に一刀両断されたともいわれています。

さてどの話が真実なのでしょうか。

曹操の恩に報いなければ劉備のもとに帰れない関羽としては、

そんな顔良の思いも知っていて何食わぬ顔で近づいて斬ったのかもしれません。

絶対に顔良の首が関羽には必要だったのです。

 

劉備の妻子を連れて曹操のもとを去る

関羽千里行 ゆるキャラ

 

関羽は顔良を斬ったことで恩に報いたと判断し、

劉備の妻子を連れて曹操の領地を去ります。

袁紹の最強の武将を倒したのですから曹操としてもその功は絶大と考え、

上表して関羽を漢寿亭侯に封じ、重い報奨を与えます。

関羽は恩賞すべてに封をして屋敷に置いて劉備のもとに出立しました。

その忠義心の強さと潔しさに曹操はさらに感心したと伝わっています。

 

曹操03

 

関羽最大の魅力であるその忠義心を奪うことは、

人材の能力を最大限に引き出すことを趣味にしていた曹操にとってはできなかったことなのでしょう。

結果、曹操は関羽の「劉備のもとに戻る」ことを許します。

 

三国志ライター ろひもと理穂の独り言

ろひもと理穂さん02b 背景あり

 

三国志に登場する君主たちのなかで、そこまで敵に寛容なのは曹操くらいです。

実際に関羽は孫権にも降伏するのですが、

決して劉備を裏切ることはないと感じた孫権は関羽の首を刎ねています。

器の大きい曹操と、別格の能力を誇った関羽だからこそ為しえた話なのかもしれません。

そこには関羽の曹操に対する畏敬の念も少なからずあったのではないかと私は思います。

本当かどうか定かではありませんが、八年後の赤壁の戦いで敗走する曹操を見逃し、

その命を救ったのは他ならぬ関羽だったと「華容道の物語」では伝わっています。

主従の関係を超えて心で繋がっていたのが曹操と関羽だったのかもしれませんね。

 

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