【出世の花道】三国志時代の人々はどのように出世した?

2016年11月6日


 

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疫病 村

 

三国志で名が残る人は、身分が最初から皇帝や王という人以外は、

低い身分から出世を繰り返して肩書が変化していくのが当たり前ですね。

では、三国志の時代の出世とは、どのような形で行われたのでしょうか?

今回は、三国志の出世の花道について、紹介したいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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一般の士大夫のケース 袁安さんの場合

袁家ヒストリー02 袁安

 

では、一般の士大夫の人々の出世のパターンを見てみます。

四世三公を出した名門、袁氏の始祖、袁安(えんあん)は、

最初、功曹(こうそう)という県の人材登用の担当ポストから開始します。

やがて、大飢饉の際の態度が君子であると県令に認められ、

孝廉によって推挙され陰平(いんぺい)の県長、

それから任城(にんじょう)県令になります。

 

※ちなみに県長とは、一万戸以下の人口の県を意味し、

一万戸以上を県令と言って区別しています。

 

前・後漢で行われた孝廉って何?

張良と劉邦

 

孝廉とは、前漢の武帝の時代から

董仲舒(とう・ちゅうじょ)の提案で行われた人材登用制度で、

毎年、国郡ごとに孝行な人材と清廉な人材を推挙しました。

 

しかし孝廉に推挙されると直ちに、役人になるのではなく、

一度中央に登り、郎(ろう)として宮廷の郎署に派遣されて、

ここで行儀見習いをして実地研修を積んでいきます。

 

そして、中央での成績に従い県長、県令、相、或いはそのまま

中央キャリアとして留まります。

 

袁安も、慣例通り、中央に登り、そこから陰平の県長に

なったという事でしょう。

 

ランクUP!太守へと出世

 

県令や県長を歴任する士大夫は、数年毎に

任地を異動する決まりになっています。

 

これは後漢王朝の意図的なもので、県令が長期間在任して

地元の豪族と結びついて私兵を蓄え、強大化して

中央の言う事を聞かなくなるのを避ける為です。

 

県令にまでなっても、そこからエスカレーター的な昇進は、

エリート貴族でない限りはあり得ず、大きな手柄がない人は

転勤族となり、各地の県や相を転々として定年を迎えたという事です。

 

しかし、袁安は善政を敷き、庶民に畏れられ、

かつ敬愛されたので楚郡の大守にランクUPしました。

この楚郡、直前まで楚王劉英(りゅうえい)の領地でしたが、

劉英が謀反を企んだ事で廃止されて後漢の領土に編入、楚郡になっていました。

 

楚郡では、劉英の謀反に連座したとされて無罪の人まで投獄されていました。

役人達は皇帝の怒りを恐れて、よく調べもせずに劉英に近い人を

片っ端から投獄してしまっていたのです。

袁安は、これらの人々を救う為に首を懸けて取り調べをやり直し

400家以上の人々が無罪として救われました。

 

裁きの公明正大さを明帝に評価され河南尹にランクup

 

明帝は、袁安の法を捻じ曲げず真実を追求する態度に感心して河南尹(かなんいん)へと昇進させました。

河南尹とは平たく言って、都知事のようなもので帝都洛陽の周辺を広く統括する権限を持っています。

 

九卿(きゅうけい)と呼ばれるエリート官僚に上る前の登竜門であり、歴代の河南尹を見てみると、王允(おういん)何進(かしん:外戚)、
袁術(えんじゅつ:ボンボン)、夏侯惇(かこうとん)梁冀(りょうき:外戚)

橋玄(きょうげん)、朱儁(しゅしゅん)など三国志でも錚々たる面子が並びます。

 

農業振興から福祉事業まで忙しかった河南尹

お役人七つ道具

 

この河南尹、重要なポストだけに忙しかったようで、

その仕事も多岐にわたり、家々の垣根を高くして空き巣の被害を防ぎ

農民には五穀を順番に造らせ、天災を防ぎ、農機具の備えを点検し、

蚕のムシロ用の藁を準備させ、役人の割符を常に確認して、

遊び過ごす役人を摘発して綱紀を粛清する。

 

さらに、独身の男女を探しては、結婚するように促し、

身よりのない老人、孤児には、お上からの救済の品を与え、

潜んで目に見えない不正を暴いて裁きを受けさせるなどがあり

河南尹一人で、五役も六役もやっているような感じです。

 

外戚やボンボンの梁冀、何進、袁術にとっては、

ただの腰掛けポストの河南尹ですが、袁安は、こんな大変な仕事を十年勤めます。

もちろん、評判はこれまでと変わらず公正で公平であり人々に

敬愛され畏れられて評判は高いものでした。

 

ただ、面白いのは袁安の在任期間、贈収賄で逮捕された人間は一人もなく

その部分については大目に見ていたようです。

 

関連記事:出来ると言われる人必携!三国時代の役人7つ道具

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袁安、九卿、太僕に昇進、

 

九卿とは、三公、三省の下にある役職、日本で言う公卿(くぎょう)です。

内容には、宮廷内の仕事を扱うモノと中央官庁として地方を指揮監督する

モノに別れますが、すでに中央のキャリアであり地方官僚ではありません。

 

太常(たいじょう)卿、光禄勲(こうろくくん)卿、衛尉(えいい)卿、
大鴻臚(だいこうろ)卿、宗正(そうせい)卿、大司農(だいしのう)卿、

少府(しょうふ)卿、太僕(たいぼく)卿、廷尉(ていい)卿、の

九部門に分かれていて故に九卿と言います。

袁安は十年、みっちりと河南尹を勤めて実績を積み重ね、83年に

九卿の一つである太僕に昇進しました。

 

太僕とは車や馬、武器製造、宮中で使う諸製品の製作業務を司り

天子行幸などの監督を行う仕事で交通、通信、軍需大臣です。

 

袁安、ついに三公の二つ、司徒、司空を歴任する

 

西暦83年に太僕になって、ほどなく、袁安は司空に昇進します。

こちらは三公で事実上の官僚のトップ、この上には通常時には名誉職の

太博(たいふ)、太保(たいほ)、相国(しょうこく)等があるだけです。

 

袁家ヒストリー03 袁安

 

司空は大土木工事を監督する国土交通大臣で

司徒は行政全般を見ている総理大臣クラスの立場です。

袁安は、司徒を長く務め、在任のまま西暦92年に死去しました。

ほとんど、一般の士大夫から始まり、三公を極めた袁安は、

かなり立派な人だったのです。

 

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三省とは一体、何を意味するのか?

荀彧

 

地位としては九卿の上にあり、三公の下にある三省は、

録尚書事(ろくしょうしょじ)尚書令(しょうしょれい)、

侍中(じちゅう)、中書令(ちゅうしょれい)の4つのポストで、

いずれも皇帝に直属していて、上奏や文書発行、皇帝への助言を行い

強大な権限を有していました。

 

形としては、録尚諸事が、尚書令、中書令を統括していて、

三国志の時代には、大将軍+録尚諸事を兼ねる人が多くいます。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

さて今回は、後漢時代の、士大夫の昇進の仕方を見てきました。

もちろん、時代が進むと、門閥貴族の形成により社会が固定化して

飛び級で昇進するエリートと何十年も県令止まりという人が出てきます。

いずれにしろ、一般の士大夫が昇進するのは中々大変という事が

おわかり頂けたのではないかと思います。

 

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