曹操(そうそう)がまだ河北の袁紹(えんしょう)との決戦を控えている頃に、
曹操は無名に近かった若者・郭嘉(かくか)に出会います。
袁紹の器を認めなかった郭嘉でしたが、曹操と謁見し、
自らの主君は曹操をおいて他にいないと判断します。
また、曹操も郭嘉の話を聞いて、
自らの大業を為すためには欠かせぬ人物として重用することになります。
曹操はその後、天下泰平の暁には後事を託すのは郭嘉であると指名しました。
あの曹操がここまで評価するとは、郭嘉はただものではありません。
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後継者の意味
この場合、後事を託すということと、家督を継がすという意味はまったく違います。
曹操は別に郭嘉を後継者に指名したわけではありません。
あくまでも「補佐役」として郭嘉に曹家の将来、中華の将来を託したわけです。
郭嘉は曹操よりも15歳ほど歳若です。
若く仕官の期間も短いものがありましたが、
天才・曹操の思考を理解できたのが唯一、郭嘉だったのではないでしょうか。
その点では曹操より8歳ほど歳若の荀彧よりも期待されていたことになります。
荀彧(じゅんいく)がこの話を聞いていたら、はたしてどう感じたのでしょうか。
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荀彧ではなぜダメなのか
曹操にとって最も欠かすことのできなかった人物は荀彧でしょう。
数々の曹操の危機を救ってきたのが荀彧であり、曹操の勢力の屋台骨を支えていたのが荀彧です。
その功績は誰もが認めるものであり、曹操からの信頼も絶大なものがありました。
しかし、曹操は天下泰平の暁に後事を荀彧に託せない理由があったのです。
そこが郭嘉と荀彧の大きな違いです。
荀彧には決して揺るがぬ漢皇室への忠義の心があったからです。
つまり荀彧が曹操に協力しているのは、あくまでも漢皇室復興のためです。
そのために必要な天下泰平でした。
曹操には漢皇室復興などといった思想はありません。
天下をまとめるうえで利用できるという価値しか見い出してはいません。
将来、曹操と荀彧が別な道を歩むようになることは必然だったのです。
そこを見越して曹操は荀彧に後事を託すことはできませんでした。
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郭嘉の価値観
果たして郭嘉が勤王思想だったのか、そうではなかったのか定かではありません。
しかし曹操に後事を託すとまで言われているわけですから、才能は当然のこと、
政治に関する価値観も共通する点が多かったのだと思います。
つまり血筋や家格ではなく、
実力のあるものが政治の舵をきるべきだというものだったのではないでしょうか。
「実力主義」。それが曹操と郭嘉の共通認識だったと思われます。
郭嘉には、皇帝が政治の中心になるような漢皇室復興の意向はまったくなかったはずです。
曹操は皇帝になりたかったのか
権力を掌握した曹操でしたが、結局は皇帝にはなりませんでした。魏王止まりです。
皇帝になろうと思えばなれたであろう曹操でしたが、それだけは思いとどまったようです。
おそらくはその点においても郭嘉は曹操に同意していたのではないでしょうか。
将来を見越すことにおいて右に出る者はいなかったであろう郭嘉のことですから、
このまま曹操が勢力を伸ばしてやがて天下をとることも予想できていたはずです。
きっと郭嘉は皇位の奪取、または譲位はすべきことではないと進言したはずですし、
曹操にもその意思はなかったのでしょう。
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三国志ライター ろひもと理穂の独り言
曹操が、中華を治める「価値観・思考の後継者」としたのが郭嘉だったのではないでしょうか。
他人はおろか曹操の実の息子たちですら、なかなか理解しがたい価値観だったに違いありません。
天下の平和をいかにして存続させるべきか。
もしかするとそれは、国民を統合し天下を円滑に治めるには
象徴としての皇室は必要不可欠だというものだったのではないでしょうか。
ただし皇室は侵しがたい権威を有していても権力を持たず、政治を司るのはあくまでも実力者です。
それには外戚でも宦官でも名家でもなく、才能溢れる人物がなる。
そんな革新的な思考ができたのが曹操であり、郭嘉だったのだとするとどうでしょうか。
現代の日本に通じる、いわゆる「皇帝象徴制」です。
もし郭嘉が長命で、曹操の太子たる曹丕の側近として仕えていたら、
曹丕は皇帝の座に就かなかったかもしれません。
軍師連盟の主役である司馬懿(しばい)の登場も別の形になっていたことでしょう。
曹家は皇帝にはならない。それこそが曹操の意思だと郭嘉から教え聞かされ、
やがて理解することで、曹家の興隆以上の成果を曹丕はあげ、
中華は民主国家として発展したかもしれませんね。
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