郭嘉(かくか)の死因は結核だった?【はじさん臨終図巻】

2015年12月12日


 

郭嘉

 

どんな神算鬼謀を有していても、鬼を切るような勇気と剛力を持っていても

全てを思い通りに出来る権力を有していても人間は最後には必ず死ぬ事になります。

それは、三国志の人物達も同じ事です。

そこで、はじさんでは不定期シリーズとして、三国志を彩る武将や知将の臨終に

テーマを絞って特集を組みたいと思っております。

しめやかに始まる、第一回のゲストは曹操の参謀 郭嘉奉孝(かくか・ほうこう)です。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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西暦207年9月 鄴 郭嘉死す

郭嘉

 

曹操は息せき切って、郭嘉の寝室へと走った、、

長くはないと知ってはいても、かつて、肝胆相照らした男の臨終間際は、

身を裂かれるように苦しい。

 

その癖、曹操は寝室に入る直前では、冠を正し堂々たる態度を崩さない。

 

侍女「曹丞相がお見舞いに来られました」

 

郭嘉は枯木のようにやせ衰えた体をベッドから起し蠅を払うように手を振って

人払いを指示した。

 

曹操「無理をするな、寝たままで良い」

 

二人だけの静かな部屋で、曹操は平静を保ち威厳を崩さずに接している。

本当は、やせ衰えたその体を支えてしっかりせよと怒鳴ってやりたかった。

だが、それをすれば、「うろたえめさるな!」と曹操を叱りつけるのは郭嘉だろう。

 

郭嘉は信じている、曹操こそは天が乱世を平定すべく遣わした神人であると、

その神人が、たかが軍師一人の死に取りみだすなど、郭嘉の常識ではあり得ない。

 

郭嘉「直々のお出まし、いよいよ命の少なしを感じまするな」

 

郭嘉は、ゴホッ!ゴホッ!と嫌な咳をした、バネのように体が揺れ

青銅の器の中に血痰が吐かれた。

 

曹操「バカを申せ、もう少し病気が落ち着いたら、どこか空気のキレイな場所で

嫌という程、静養させてやる、酒も博打も出来ないが貴様には薬だ」

曹操は虚勢を張って声を弾ませた、、つもりだが、郭嘉にそう聞えたかは、

自分でも分からなかった。

 

郭嘉「はっは、、酒も博打もないなら、死んだも同じでござるな」

 

郭嘉は、最大限の皮肉でそう返した、、

郭嘉

 

それから数日の後、希代の策謀家、郭嘉は満37年の生涯を閉じた。

 

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郭嘉の持病とは、一体なんだった?

郭嘉

 

郭嘉奉孝は、正史によると、曹操(そうそう)の烏丸征伐に従軍し柳城から

帰還した後に病が重くなり死んだという事になっています。

 

年三十八、自柳城還、疾篤、太祖問疾者交錯。及薨、臨其喪、

 

疾篤とは病が篤くなるという事ですが、この郭嘉の病とは烏丸征伐の行軍の

苛酷さで発症したものなのでしょうか?

kawausoが考えるにそうではないように思えるのです。

 

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郭嘉には持病があった事を臭わせる記述

郭嘉

 

それは、曹操が荀彧に与えた手紙に、このように記されているからです。

 

「奉孝への追慕は心から去る事ができない

彼は時事・兵事を見ること常人の規格を絶していた。

人間の多くは病を恐れるものだ、南方には疫病があり彼が常に言うには

『私は南方に往けば、生きては還れまい』と、だが

共に計略を論ずれば、先ずは荊州を定めるよう言っていたのだ。

これはただ忠義心から計画されただけではない、

必ずや功を立てんと欲して生命を削り棄てる事を覚悟していたのだ。

歴史に残る大業を為そうという心が、これほどに深かったのに

どうして人として奉孝を忘れられようか!」

南方には疫病が多いので、私は南方に行けば生きて還れまいというのは、

単に虚弱体質を意味するのでしょうか?

曹操の言い方だと、そのようには感じられません、むしろ、郭嘉には、

以前から持病があって、体が弱いのに、それを推して南方の荊州を獲れとする

その命を削っても大事を為そうとする覚悟に曹操は感動しているように見えます。

 

では、郭嘉の持病とは何だったのでしょうか?

 

孤高にして、素行が乱れている、そこから導かれる郭嘉の病は結核?

郭嘉

 

郭嘉は、天才的な軍師でしたが、性格としては、人と交わらず孤高、

そして、素行は、同僚の陳羣(ちんぐん)が糾弾する程に問題があるものでした。

 

ところが素行が悪いと糾弾されている郭嘉の子息は、ただ一人郭奕(かくえき)のみです。

つまり、郭嘉の素行には、女遊びなどは含まれておらず、酒や博打のような

享楽的な物に限定されていた事になります。

 

そこで考えられる郭嘉の持病には、結核が考えられます。

つまり、郭嘉は自身が結核である事を知っていたので、感染を恐れて他人を近づけず

同時に、女遊びなどはせず、一方で死が間近い事で虚無的になり、大金を散じて

博打や酒に溺れるというような事になっていったのではないでしょうか?

 

曹操は、陳羣が郭嘉を糾弾しても、それを咎めずに重く用いたとされます。

つまり、曹操は郭嘉の病を知っていて、大目にみたという風にも取れます。

 

郭嘉

 

また結核を患うと常に微熱を発して目は潤み、体は痩せて色は白くなるようです。

後漢の時代にはスリムで色白な人がモテたようですから、薄幸そうで虚無的な

郭嘉は女性の人気を集めたのではないでしょうか?

 

結核患者である郭嘉には、遠征は合併症を引き起すリスクがあった

郭嘉

 

結核に感染し発病すると、それに付随して起きる合併症が知られています。

それは糖尿病であったり、結核性髄膜炎であったり、骨関節結核だったりします。

病を得ている郭嘉にとって、遠征は、それに従軍するだけでも生命に関わり

それが、南方に行けば生きて還れないというセリフになったように思えます。

 

曹操、郭奕には郭嘉の結核が感染していた!

曹操頭痛

 

余談ですが、郭嘉の結核は息子である郭奕と主君である曹操に感染した可能性があります。

息子の郭奕は郭嘉の後を継ぎ、爵位を得ていますが、やはり郭嘉同様に若死にした

という記録が残っています。

 

また、曹操が晩年に原因不明の頭痛に悩まされたというのは、結核の合併症である

結核性髄膜炎であるという説もあるのです。

 

郭嘉が死んだのは207年、曹操は220年だから一見関係はないようですが、

結核菌は感染しても患者の免疫力が高い間は仮死状態で過ごし、免疫力が低下すると

同時に発症するという場合があります。

 

曹操は、60を過ぎてから、結核菌が活動を始め、結果合併症の結核性の

髄膜炎で生命を絶たれたという事になります。

 

つまり、曹操と郭奕は郭嘉と間近に接していた為に結核に感染してしまい、

それが時を経て発病した為に落命したとも考えられるのです。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

郭嘉が、いつから結核だったかは分かりません。

しかし、かなり昔から彼は病魔に侵され、また、その才能を見出してくれる主君にも

恵まれず、かなり捨て鉢になっていたかも知れません。

ところが、そこで曹操に出会い、結核に侵された少ない余命に

天下取りの夢を託すつもりになった。

そして曹操も郭嘉の持病を知った上で共に天下に覇を唱えんとした。

曹操と郭嘉は、そのような孤高を共有していたのかも知れません。

今日も、三国志の話題をご馳走様でした。

 

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歴史ライターとして、仕事をし紙の本を出して大当たりし印税で食べるのが夢です。
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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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