田豫(でんよ)とはどんな人?魏の国境付近の平和を勝ち取っていた異民族政策のプロ

2016年11月27日


 

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羌族

 

中国には色々な異民族がおります。蜀の北方には羌族(きょうぞく)がおり、益州の南側には南蛮の異民族がおります。また呉の南方には呉を悩まし続けていた山越(さんえつ)などが常に反乱を起こしておりました。

 

烏桓

 

そして魏には鮮卑(せんぴ)・鳥丸(うがん)・匈奴(きょうど)などが長城の外の世界で跋扈しており、魏の国にとって厄介者でした。

 

魏の移民政策のプロ、田豫(でんよ)

 

魏の厄介者である異民族の内北方異民族の鎮撫に務めてその名を長城に轟かせ、魏の国境付近の平和を勝ち取っていたマイナー武将・田豫(でんよ)の実績をご紹介しましょう。

 

劉備に仕える

劉備

 

この田豫という人物実は曹操に仕える前に、劉備に仕えていたのを知っていましたか。もしそのまま劉備に仕えていればかなり活躍していたこと間違えありません。さて田豫が曹操仕えたきっかけは公孫瓚(こうそんさん)に身を寄せていた時、劉備に惚れ込んで仕えることにします。

 

表情 劉備01

 

劉備は田豫を一目見て「こいつはできる人物だ」と確信して、彼を仲間として迎え入れます。こうして劉備に付き従っていた田豫ですが、突然の別れがやってきます。その原因は母の病気です。田豫は母の看病をするために幽州(ゆうしゅう)にある実家に帰りたいと劉備に申入れます。

 

劉備は田豫と別れることが非常に前年であったらしく別れ際に

「君とこれから一緒に活躍していこうと考えていたのにここで別れることになるとは、大いに残念である。」と泣きながら別れを惜しんだそうです。こうして劉備と別れた田豫は優秀へ帰還します。

 

曹操に仕える

曹操

 

田豫は幽州に帰って母と共に生活することになります。二人が生活している間に幽州は大きな変化が訪れることになります。その変化とは公孫賛が袁紹に敗北して滅亡し、この地の国人によって幽州太守代行として異民族の人物が推戴されます。田豫は幽州の太守の元に出向き彼に「袁紹の味方をしていたのではダメです。あなたが頼りにするべき人物は中原で覇を競っている曹操の味方となりなさい。彼はいずれ天下を統べる人物として成長するはずですから」と進言。異民族の幽州太守は田豫の言葉を受け入れて、曹操と誼を通じます。その後袁紹が曹操に敗退することになり、河北から袁家の勢力が一掃されることになります。この時幽州の太守代行であった異民族の人物は曹操から領地と恩賞をもらい大いにもてなされます。曹操は田豫を呼び「君が幽州の太守代行に私の元へ味方するようにと説得してくれたんだね。ありがとう」と感謝の言葉を述べた後、彼を弋陽(よくよう)と呼ばれる土地の太守に任命。彼はこの地で大いに治績を上げることに成功し、魏の中央政府でも彼の活躍が認められることになります。

 

曹彰と共に代郡平定戦に参加

 

田豫は弋陽太守を数年間務めた後北方を中心に太守を務めることになり、異民族との交流も活発に行っておりました。その後長城以北にいた異民族である鳥丸族が大規模な反乱を起こします。曹操は自らの息子である曹彰に命じて、北方鳥丸族の討伐を行うように指示します。この時田豫は曹彰に従って鳥丸討伐戦に参加。総大将である曹彰は兵には神速をもって目的地に到着して攻撃を仕掛けるべしとの通達を出したため先陣を率いて進軍。彼に従う兵数は騎馬数千と歩兵数百しかいませんでした。この兵数が少ない状況の時に鳥丸族が曹彰軍へ奇襲攻撃を仕掛けてきます。曹彰の軍師的な役割を担っていた田豫は車の車輪のように円陣を作らせて、円の内側から弓矢による猛射撃を行うことによって鳥丸軍の撃退に成功します。その後鳥丸族討伐は順調に行われ、代郡に駐屯していた鳥丸族を長城の外へ追い出すことに成功にします。

 

国境を犯してくる異民族

鮮卑

 

曹操が生きている時jは長城以北にいる異民族達に対して猛攻を加えて、魏軍の強さを示していたので積極的に異民族も長城以南に侵入してくることはありませんでした。しかし曹操の死後曹丕(そうひ)が魏の初代皇帝となると異民族は再び魏の国境へ侵入し、北方にある土地に攻撃を仕掛けて民衆をさらったり、家畜を奪ったりしておりました。異民族の中で積極的に魏へ攻撃を仕掛けていたのが、鮮卑族と言われる異民族でした。鮮卑は軻比能(かひのう)・素利(そり)・彌加(びか)の三人が分割して領土を保有。この三人が協力して魏の領土へ侵入してくるので魏軍は打ち払おうと攻撃を行いますが、三人の協力な連携攻撃によって度々敗北しておりました。鳥丸校尉(うがんこうい)となっていた田豫(でんよ)は耳寄りな情報を入手したことにより、ある作戦を開始します。

 

強力な軍勢を擁する三人の離間を図る

赤兎馬と武霊王

 

田豫は鮮卑族の三人が中華に馬を輸出することを禁止していることを知ります。そこで彼はこの三人の協力体制にヒビを入れるべく策を施します。まず一番思慮が足りなそうな素利に対して使者を送り「魏は君が持っている馬を大金で贖う用意があるから売ってくれないか。」と要請します。すると素利は田豫の要請に応えて三人での協定を破って、魏へ馬を数千等輸出してしまいます。この事実を知った軻比能と彌加は激怒して素利に攻撃を仕掛けます。素利はふたりの軍勢がやってくることを知ると田豫に援軍を要請します。田豫は援軍を自ら率いて出陣してふたりの軍勢を大いに撃破。こうして強力な軍勢を擁していた鮮卑族の離間を成功させて、戦力を低下させます。

 

数百人で数万の鳥丸勢を降伏させる

 

曹彰が討伐して鳥丸族は大人しくなっておりましたが、骨進(こつしん)と言う者が鳥丸族の王に就任すると彼は鳥丸族を率いて魏の国境を犯して、魏の国々を攻撃し始めます。田豫はこの凶暴な王と話し合いの場を設けたいと伝えさせた後、数百の騎馬隊を率いて向かいます。骨進は指定された場所へ数万の兵を率いて到着した後、彼を向かい入れます。田豫は骨進の本陣に案内されるといきなり剣を抜いて彼を斬り殺し、骨進が率いてきた鳥丸族の兵士をすべて降伏させます。田豫の大胆不敵と言っていい作戦によって彼の名前は中華に轟くことになり、長城の外にいる異民族にも彼の名前が轟くことになります。

 

北方の安全に尽くす

 

彼はこの活躍が中央政府によって認められると侯の位を授かります。そして彼は北方が異民族に侵害されないようにするために、時には騙し討ちのようなことを行って異民族の勢力を弱体化させたり、結束して国境に攻撃を仕掛けてきそうな異民族がいれば離間の策を用いて結束させないようにします。このような事を行い続けてきた結果、異民族は北方へ侵略することなく長城付近の街は安寧を手に入れることになります。

 

鮮卑族の族長から贈り物が届く

 

田豫は北方で対異民族において目覚しい功績を挙げていきますが、民政においても彼は実績を上げております。困窮に喘いである民衆には家財を充てて食べ物を与えたりしておりました。その為彼が統治していた郡の民衆は大いに彼を慕っておりました。また彼を慕っていたのは民衆だけでなく、異民族の族長達も慕っておりました。彼らが田豫を慕っていたエピソードがあったのでご紹介します。田豫の援軍によって命を助けてもらった素利は、彼が貧民に喘いでいる人々に家財を充てて施しを与えていると知ります。そこで彼は田豫に牛や馬などの家畜を送ります。しかし田豫は送られてきた家畜をすべて官へ収めてしまいます。この事を知った素利は自ら田豫の元へ趣いて、「あなたには散々せわになった。、そのお礼と言ってはなんだがこの金を受け取って欲しい」と大金を渡します。

 

田豫は「ありがとう。この金は大事に使わせてもらうよ」といってもらいます。やっと田豫が贈り物をもらってくれたことに満足した素利は帰っていきます。だが田豫は素利からもらった金を朝廷に説明して全て寄付。この事を知った素利は大いに嘆くと共に私心が一切ない田豫を尊敬します。このエピソードから分かる通り彼は一切の私心を持たずいた事から異民族や民衆からしたわれる存在になっていきます。

 

讒言によって移動させられる

 

幽州の刺史となっている王雄(おうゆう)は無難に政策を進めて統治を行っておりましたが、彼の取り巻きが田豫が就任している鳥丸校尉の官職を王雄にさずけようと考えて、中央政府に「田豫は国境を乱して、民衆に平穏な生活を与えないようにしている」と讒言。この讒言が受け入れられてしまったため田豫は北方から左遷させられて、汝南太守に移動することになります。

 

匈奴にもその名を轟かす

 

魏の三代目皇帝である曹芳(そうほう)の時代に田豫は幷州刺史(へいしゅうしし)と匈奴中郎将(ちゅうろうしょう)の官職に昇進します。彼は鮮卑に用いたような策を弄して匈奴の結束力の衰退を積極的に行っていきます。こうして彼が統治を行った結果、匈奴と魏の国境近辺の土地や城は平穏を手に入れることに成功します。また匈奴も彼に対して様々な贈り物を送り彼を慕って行くことになります。

 

辞めたいけど辞めさせてくれない

年を取った司馬懿

 

田豫はこうして70歳を過ぎた辺りから体力の衰えを日々感じ始めます。そして魏の政権のトップに位置していた司馬懿(しばい)に「私も高齢になり体力の衰えを感じ始めており、このまま高位の位に位置していても国家に役に立つとは思えません。その為官職を若いものに譲って隠居したいのですがいいでしょうか。」と申入れます。すると司馬懿からすぐに返事が帰ってきて「あんたまだまだ若いではないか。わしの方が歳が上なのに何を言っとるんだ。もう少し頑張ってもらわないと困るよ」と引退することを拒否されてしまいます。その後何回も引退を申し入れますが、その度に引退することを拒否されてしまいます。しかしついに80歳の時にやっと隠居の許可が出て冀州に隠居することができました。彼はこの地で自分の家を買って農業に勤しみ、奥さんとゆっくりとした生活を楽しんでいきます。だが彼が82歳の時に亡くなってしまいます。彼が亡くなった時、汝南の民衆達は大いに嘆きそして悲しんでいたそうで、彼が隠居して生活していた冀州に行き、田豫の生前の功績を称える顕彰碑を制作したそうです。

 

田豫の隠居後のエピソード

 

田豫は北方の異民族からも人気がありましたが、汝南太守となってこの地を治めていた時の部下からも人気がありました。どのくらい部下にしたわれていたのかご紹介しましょう。汝南太守の使いとして北方へ伝令をしていた者は帰りに冀州へ立ち寄ります。彼は以前田豫の部下として仕えていた者であり、田豫の様子を見てから帰ろうと考えます。そして田豫の家に立ち寄るとボロボロの家に住んでおりました。彼は田豫を尋ねると田豫は大いによろこんで、あまり財産のない田豫ができる最大限のもてなしを行います。翌日田豫は遊びに来てくれた元部下を州境にまで見送り、「すまんな。私が老いていた為君に何もしてあげることができなかった。許しておくれ」と陳謝します。元部下はこの言葉を聞いて涙を流して感動し、彼の元を去っていきます。汝南に帰り着いた部下は同僚を集めて「私たちに良くしてくださった田豫様が困窮している。みんなで金を出し合って絹を送りたいと思うのだが、協力してくれるか。」と呼びかけます。すると同僚はみな彼の呼びかけに応じて資金を出し合います。こうして集まった資金で絹を買って田豫に送ります。しかし田豫はかれらの恩情に感謝するも全て返還してしてひとつも受け取らなかったそうです。元部下達は自分達を気遣ってくれた田豫に大いに感謝したそうです。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

魏のマイナー武将はまだまだたくさんいますが、今回は国境近辺に平和をもたらした異民族制作のプロフェッショナルと言っても過言ではないでしょう。また異民族に対しての功績だけでなく、内政においても目覚しい実績を挙げており、マイナー武将として名を連ねているのが勿体無いくらいの武将であると思います。

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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