春秋戦国時代

はじめての三国志

menu

三国志の雑学

諸葛亮孔明の軍事能力は実際に優れていたの?後半

この記事の所要時間: 33




孔明

 

諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめ)は主君である劉備(りゅうび)が亡くなった後も、

その志を継いで無謀ともいえる挑戦を続けます。

その志とはいかなるものだったのでしょうか。

それは魏を倒すことに他なりません。

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

前回記事:諸葛亮孔明の軍事能力は実際に優れていたの?前編




大国・魏への挑戦

劉禅と孔明

 

劉備が益州に建国した「蜀」は、漢王朝の正統な後継者を自称していました。

後漢最後の皇帝の献帝は、曹操(そうそう)の後継者である曹丕(そうひ)に譲位し、

漢王朝は魏に簒奪されていたのです。

魏を滅ぼし、漢王朝を復興することこそが、蜀という国の悲願でした。

そのために作られた国といっても過言ではありません。

諸葛亮孔明はその志を遂げるべく準備をしていくのです。

 

関連記事:【蜀漢建国の正統性を斬る】中華を戦慄させた革命家・孔明の後漢イデオロギー

関連記事:なぜ劉備は蜀王ではなく小さい土地である漢中王に就任したの?




魏との六度の戦い

孔明

 

準備を整えた諸葛亮孔明は西暦228年に北伐を開始します。

それはまさに漢の高祖(劉邦)の再現でした。

高祖もまた漢中から中原に進出し、項羽(こうう)を滅ぼしたからです。

諸葛亮孔明は都合六度、魏と戦っています。

 

基礎知識 馬謖05 孔明

 

第一次の北伐では部下の馬謖(ばしょく)が致命的な戦略ミスを犯して撤退します。

第二次では敵将の郝昭の守る城を落とせずに撤退。

第三次では大きな成果をあげて魏領である武都郡と陰平郡を手に入れています。

第四次は魏が攻め込んできての戦いでしたが、大雨が続き引き分け。

 

孔明と司馬懿

 

第五次では上邽で司馬懿(しばい)と対陣し引き分け。

第六次も五丈原で百日対峙し、引き分け。

魏を滅ぼすどころかほとんどの北伐で撤退を余儀なくされています。

なぜ天才軍師がいながら魏を倒せなかったのでしょうか。

 

関連記事:劉備は何で蜀を建国しようと思ったの?三国志演義で人気を占める蜀の秘密に迫る

関連記事:漢の400年は、たった8年の激しい戦いから生まれた?三国志の前哨戦、楚漢戦争!

 

蜀の撤退の理由

祁山、街亭02

 

天然の要塞ともいえる益州。魏と蜀の国境には海抜二千メートルを超える秦嶺山脈が続いています。

守りに徹すれば負けることはなかったでしょうが、

諸葛亮孔明は志のためにこの山を越えて魏領に攻め込まなければなりませんでした。

最大の問題は進軍以上に兵站です。

 

孔明

 

野戦において天才的な戦略を誇る諸葛亮孔明は、

少ない兵力であっても大軍の魏をかき回すことができますが、兵糧不足だけはどうにもできません。

 

空腹の兵士

 

撤退を余儀なくされた原因はこの兵糧不足です。

よって蜀軍は、長期戦になると必ずボロが出るのです。

早期決着をつけようと諸葛亮孔明は焦りますが、敵には忍耐の塊のような司馬懿がいました。

いいところまで戦局が進んでも結局は兵糧切れで撤退せざるをえなくなります。

蜀の国力を考えると諸葛亮孔明をもってしてもここが限界だったといえます。

 

関連記事:びっくり!五丈原の戦いの戦費、現在で換算すると、なんと○○円!

関連記事:地味だけど超大事!三国志の時代の食糧貯蔵庫とはどんなもの?

 

攻城戦の難しさ

孔明

 

また、諸葛亮孔明の意外な弱点も露見します。

野戦では才を発揮できますが、攻城戦は不慣れだったという点です。

これは第二次北伐で陳倉を攻めた際にはっきりしました。

敵将は司馬懿の息のかかった郝昭(かくしょう)というあまり名の知られていなかった男です。

諸葛亮孔明はすぐに落城できると考えていましたが、城は工夫されており、

攻城兵器も郝昭に上手く潰されてしまいます。

 

地下道を掘り進む作戦も見抜かれ、兵糧は二十日で尽きました。

長安からの敵の援軍を警戒し、諸葛亮孔明は撤退します。

北伐の二度の失敗で諸葛亮孔明は丞相の座を降りることになるのです。

 

大国を苦しめた諸葛亮孔明の知略

7-4_病気がちな孔明

 

戦略ミスはありながらも、

少ない兵で大軍を苦しめた諸葛亮孔明の手腕は高い評価を受けて当然です。

圧倒的な国力差がありながら、

魏に攻め込むだけの準備が整えられたのもやはり諸葛亮孔明の功績でしょう。

第六次北伐で、木牛や流馬という輸送具を開発し導入しましたが、屯田にせよ、

新アイテムにせよ早い段階で兵糧問題を重要視していたら戦局は大きく変わったかもしれません。

なにせ諸葛亮孔明は負けてはいないのです。

もう少しだけ人材と兵糧があれば諸葛亮孔明は志を遂げることができたはずです。

 

関連記事:なんと○○を食べていた!三国志の驚異の食生活

関連記事:孔明の最期の晩餐は一体何を食べていたの?

 

三国志ライター ろひもと理穂の独り言

ろひもと理穂

 

戦上手の司馬懿が守りに徹したという事実が、

諸葛亮孔明の軍事能力の高さを物語っています。

抗いきれない国力差がありながらも奇跡を信じて前に進む諸葛亮孔明の姿には、

後世の人の心を揺さぶるものがあります。

軍事能力が高かったり、知力が高いだけでは、ここまでの人気はありません。

諸葛亮孔明にはまさに三国志の根本である建国の「志」が宿っているのです。

ぜひ魏を倒し喜ぶ姿も見たかったですね。

 

関連記事:献帝死亡説を利用した?劉備が漢中王に即位したのは孔明と法正の入れ知恵の可能性が浮上!

関連記事:孟達に全てがかかっていた!諸葛孔明の北伐は成功したかも?

 

—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 




 

ろひもと理穂

ろひもと理穂

投稿者の記事一覧

三国志は北方謙三先生の作品が一番好きです。

自分でも袁術主役で小説を執筆しています。ぜひこちらも気軽に読んでください!

好きな歴史人物:

曹操、蒲生氏郷

何か一言:

袁術は凄いひとだったかもしれませんよー!!

関連記事

  1. 成り上がり?ネズミが李斯の運命を変えた!
  2. レッドクリフを100倍楽しむ!赤壁の戦いを分かりやすく徹底紹介!…
  3. もう一人の夏候、夏候淵(かこうえん)はどうして地味なの?
  4. 自称皇帝、袁術のトホホな部下列伝 Part.6
  5. 再婚なんか当たり前?驚きの三国志の再婚事情とは?
  6. 于吉(うきつ)とはどんな人?最古のメンタリスト UkiTsu!小…
  7. 三国志でイラク戦争を考えてみようじゃないか
  8. 意外!?金持ちの息子の曹操は貧乏症だった?

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

おすすめ記事

  1. 73話:孔明、大論陣を張り呉の降伏派を叩き潰す
  2. 蘇秦(そしん)とはどんな人?秦の圧力を跳ね返す為、六国を結び付けた合従論者 Part.2
  3. 袁紹と張り合った袁術が滅亡した原因って一体何なの?
  4. 徐宣(じょせん)とはどんな人?魏の三代に仕えて歴代の君主に褒められた忠義心の塊
  5. 軍師・龐統の名言から知る三国志の世界「人の国を伐ちて、以て歓を為すは、仁者の兵にあらざるなり」
  6. 朝まで三国志 三国志最強のワルは誰だ(笑) 第2部

三國志雑学

ピックアップ記事

おすすめ記事

【三国時代】英雄の地位はどの位? 【俺たちだって五虎将だ!】魏の五虎将たち~張郃篇~ 【出世の花道】三国志時代の人々はどのように出世した? 孔子・孟子・筍子?儒教(儒家)ってどんな思想? 【赤壁の戦い】なぜ曹操は天下分け目の大戦に負けたの? 董卓はどうしてデブになったの?真面目に考察してみた 黒田官兵衛は活躍したのになぜ領地はびっくりするくらい少ないの? 【シミルボン】三国志の真実、劉備が孔明に飛び付いた理由はこれだ!

おすすめ記事

  1. 劉備が諸葛孔明に託した遺言には裏切りを防ぐための作戦だった?
  2. 関羽はどうして神格化されてメジャーになったの?三国志で唯一、神になった武将
  3. はじめての三国志 4コマ劇場 「難攻不落の門」
  4. 自称皇帝、袁術のトホホな部下列伝 Part.1
  5. 【キングダム】趙の慶舎(けいしゃ)は実在したの?史実を元に真実の姿を解説
  6. 三国志 Three Kingdomsのここがすごい!スリーキングダムズを楽しむ3つのポイント
  7. 若い頃の劉備はチャラすぎ!劉備略年譜
  8. 自称皇帝、袁術のトホホな部下列伝 Part.3

はじさん企画

袁術祭り
特別企画
異民族
諸子百家
春秋戦国時代
日常生活
はじめての三国志TV
PAGE TOP