本日はいよいよ、大晦日、2016年も残り僅かでオシマイですね。
kawausoは、どちらかというと正月より大晦日のわくわく感が好きです。
人が忙しそうに動きまわり活気がある街中を歩くと嬉しくなります。
そして、そんな現代人のわくわく感は、三国志時代も同じだったようです。
2016年、最期のはじさんは、三国志時代の大晦日を解説します。
大晦日には、プレゼント交換をしていた
三国の呉の武将で西晋にも仕えた周処(しゅうしょ)という人は、
若い頃、大変な乱暴者で村人から忌み嫌われ、人食い虎、
河に住む蛟(みずち)と並んで、「三害」と呼ばれる程でした。
しかし、年長になって悔い改め、その武勇を磨いて、
呉の近衛兵長である無難督(ぶなんとく)まで務めています。
彼は、文人でもあり「風土志」という当時の呉の社会風俗を記した
本を残していました。
それによると、三国志の時代の大晦日(中国では徐夕:じょせき)の夜には、
餽(き)と呼ばれるプレゼント交換会があったという記述が残っています。
呉将の陸遜(りくそん)や周瑜(しゅうゆ)や黄蓋(こうがい)なども、
集まってプレゼント交換をしたのでしょうか?
想像してみると、随分、にぎやかな感じですね。
見栄っ張りの袁術(えんじゅつ)などは、余程立派な贈物をしそうですが、
ろくな贈物があたらず落胆しそうです。
大晦日の晩には、お互いに夕食に友人を招いた
また、同じ風土志には、大晦日の日には、友人同士で、
お互いの夕食に招いたという記述があります。
これは、別歳(べつさい)と呼ばれ、歳に別れを告げるという意味です。
さらに、これが終わると、年配者と若年者が集まり、年越しまで
酒を飲みながら賑やかに過ごす、「分歳」があります。
面白いのは、この頃から、大晦日は眠らないでぶっ通しで起きる方が
悪疫を払い、長寿が出来て縁起がいいという習慣があったという事です。
だから、全員が大酒を飲んで、騒ぎ続け眠らずに朝まで起きるという
習慣になり、それを守歳と呼んでいました。
こうして、見ると、現代日本とあまり変わりませんね、
当時から、お祭り騒ぎをしながら、仲間や家族とわいわいやり、
寝不足でハイテンションになりながら、新年を迎えていたのです。
また縁起担ぎであれば、当然、子供も起きられるのであれば、
起きて大丈夫という事なので、普段と違って、夜更けまで大人が
起きて賑やかにしているのを見て、当時の子供達もテンションが
上ったのかも知れません。
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守歳の良い話
中国では、守歳は、一日が二年にまたがる特別な日であり、
その日を家族や友人と共に過ごす事が重要視されていました。
また、この日は人情を厚くするべき祝日とされていて、
人に優しくしなければいけない日でもありました。
なので、大晦日には、特別に牢獄に収監されている罪人を牢から出し、
正月が終わるまでは、家族と守歳を過ごさせてやるという
温情措置が度々取られたようです。
ただ厳しいだけではない、三国志の時代の人情が伝わる良い話ですね。
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大晦日の夜に食べる年夜飯
また、大晦日の晩には、家族が集まり、年夜飯という
日本のおせちのような料理を食べる風習がありました。
ここでは、主に魚と餃子が出るのだそうですが、
資料不足で、こちらが三国志時代からの習慣かどうかは分りません。
魚は、中国語では「ユ」と読むのですが、これは余(よ)に繋がり、
お金が余る程儲かるという縁起を担ぐ意味であったようです。
これも、日本のお節料理と同じで、数の子が子孫繁栄、
昆布がよろこんぶなど、語呂で縁起を担いでいるんですね。
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三国志ライターkawausoの大晦日の挨拶
さあ、激動の2016年もいよいよ終わりになりますね。
まぁ、はじめての三国志には、お正月休みはなく、
また新年から記事を配信しますが(笑)
それは、さておき旧年中は、読者の皆様には大変お世話になりました。
これという近況報告をしていない事から、はじさんは大丈夫か?
行き詰っていないか?できるだけ記事の更新を続けて欲しいなど、
はじめての三国志を心配するメッセージも頂いておりますが、
ご心配なく、毎日、毎日、着実に成長を続けておりますよ。
来年度も、旧年以上にスタッフ一同、奮起し、面白い記事、
笑える記事、泣ける記事、トリビア記事などを次々配信しますので
新年も皆様の変わらぬご声援と1クリックをお願い申しあげます。
読者の皆様の新年が素晴らしいものである事をご祈念しつつ・・
2016年12月31日 kawauso
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