「関中に一番最初に入ったものを関中王(かんちゅうおう)にする」。
この言葉は楚の懐王の言葉で、この言葉を聞いた劉邦(りゅうほう)と項羽(こうう)は、
勇んで関中へ向かって行こうとします。
しかし楚の懐王(かいおう)は項羽には秦の都である咸陽へ向かうことを命じず、
秦の名将・章邯(しょうかん)軍に苦戦している趙の救援を命じます。
そして劉邦に関中へ向かうように命令を出します。
劉邦は関中へ向かって爆進しますが、
戦が下手で幾度も敗北しつつもなんとか関中へ向かって進みます。
劉邦は苦労の末なんとか秦の首都・咸陽を陥落させて秦を滅ぼすと嬉しさのあまり暴走します。
この姿をみた張良が劉邦の暴走を止めるために言った必殺の言葉を今回はご紹介しましょう。
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ついに咸陽へ到達
劉邦は楚の懐王から関中へ向かって進撃せよと命令されてから、西へ向かって進撃を開始。
しかし劉邦軍は秦軍と一勝一敗しながら何とか西へ向かっていきます。
こうして数々の戦を乗り越えて、秦の裏門である武関を乗り越えてやっと咸陽へ向けての
道が開けます。
咸陽へ進撃している途中で秦王・子嬰(しえい)から降伏の使者がやってきます。
劉邦は彼の降伏を受け入れ、秦は滅亡します。
そして彼の軍勢はやっと咸陽へ到着。
咸陽には宝石や美女がたくさん居て、
元ヤクザの親分であった劉邦の目がギラギラと光り始めます。
美女と宝石
劉邦は咸陽の宮殿に突入すると一目散に美女と宝石を両手に抱えて、
一番奥の部屋にこもり始めます。
親衛隊の隊長であった樊噲(はんかい)は劉邦のこの姿を見て幾度も
「殿。ここで暴走してしまえば、秦の民衆から嫌われてしまいますぞ。」と何回も説得します。
しかし劉邦は樊噲の言葉に一切耳を貸さず、そのまま美女を貪り続けます。
張良・必殺の言の葉
張良(ちょうりょう)は劉邦の暴走の噂を聞いておりましたが、真実を見ていないためなにもできませんでした。
彼は咸陽陥落後、劉邦と共に咸陽へ入城したのでなく陥落寸前に病が発病したため、
郊外で療養しておりました。
療養中の張良の元へ親衛隊長の樊噲が劉邦の暴走ぶりをやめさせるように懇願してきます。
樊噲の言葉を聞いた張良は病も癒えていたため、樊噲と共に劉邦の元へ向かいます。
張良と樊噲は咸陽の宮殿にいる劉邦と会見。
そこで彼は劉邦に対して必殺の言葉を用いて注意します。
忠言は耳に逆らうけど、行いには利が有る・・・・
張良は劉邦と面会すると彼に「秦はなぜ天下統一を果たしたのに乱れたのでしょうか。
その原因は民衆に対して厳しすぎたためです。
いま秦の民衆は劉邦殿の行いをじっと観察しているでしょう。
この時に殿が乱れて宮殿で遊んで贅沢三昧な生活を行い続けていれば、
民衆はあなた様に失望して、力を貸してくれないでしょう。
忠言は耳に逆らうけど、行いには利があり、毒薬は苦くてたまらないですが、
病に利が有ると申します。ここで殿は遊んでいる場合ではないでしょう。」と注意します。
劉邦は張良の注意によって目が覚めて、咸陽を放棄。
そして咸陽郊外の覇上と言われる地へ駐屯することにします。
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楚漢戦争ライター黒田廉の独り言
劉邦は張良の注意を聞き入れた事で何とか暴走をし続けることを止めることができました。
もし彼が張良の注意を聞かずにそのまま咸陽に居続けていれば、項羽に殺されていたでしょう。
項羽は劉邦が咸陽に蓄えていた財宝を奪っているとの情報を聞いて激怒し。
劉邦を殺害しようとしておりました。
そして劉邦は項羽へ鴻門の会で陳謝し、許しをもらっています。
しかし劉邦があのまま咸陽にいれば鴻門の会などは起きずに、
そのまま劉邦軍を項羽の軍勢が破砕して、劉邦は亡くなっていたかもしれません。
このように考えると張良の注意は間一髪劉邦の命を救った言葉だと考えられると思います。
「今回の楚漢戦争のお話はこれでおしまいにゃ。
次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。
それじゃあまたにゃ~」
次回記事:人材を使いこなす事で天下を取った劉邦
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