秦の昭襄王(しょうじょうおう)って戦神と言われるほど本当に強かったの?

2017年1月21日


 

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昭襄王

 

キングダムで何回か昭襄(しょうじょうおう)の名前が出てきます。

劇中では戦神と言われるほど戦に出て、戦が好きな君主に描かれていますが、

史実ではそのように強い君主であったのか。

今回はキングダムによく出てくる秦の昭王(しょうおう)を史実面から見てみたいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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秦王になる

 

武王は力比べを行って脛骨を折って亡くなってしまいます。

彼には子供がいなかった為、次世代の秦王を誰に継がせるのかが問題になり、

前王様であった恵文王(けいぶんおう)の兄弟達が立ち上がって後継者となるべく諍いが勃発。

この兄弟間の争いを制して秦王となったのが、

戦国七雄の一国である燕で人質として生活していた昭王です。

彼は秦の群臣達が全て、恵文王の他の兄弟達に味方する中、

恵文王の奥さんであった宣太后(せんたいごう)の甥・魏冄(ぎぜん)が昭王に味方したことによって、

王に就任することになります。

こうしてキングダムで戦神として言われていた昭王が秦王へ就任することになります。

 

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若き昭王を支える能臣達

鄧禹

 

昭王は秦王に就任するも若かった為、政治がどのようなものかわかっていませんでした。

その為武王に仕えていた樗里疾(ちょりしつ)と甘茂(かんも)の二人が、

昭王を支えていくことになります。

こうして秦の若き王を支える体制が構築されていく中、宰相であった甘茂が斉へ逃亡。

彼は昭王の側近達が諫言をしていた事を知って自らの身に危険が感じると考えます。

昭王は彼を呼び戻そうと高位の位を与えますが、甘茂は秦へ戻ってくることはありませんでした。

こうして宰相を失った秦ですが、宣太后の甥が秦の政権内で力を増しておりました。

 

若き権力者・魏冄登場

魏冄 ぎぜん

 

甘茂が斉へ逃亡して秦の国内は大いに揺らいでいきます。

そんな中秦の昭王が王位についていることに不満を漏らしていた公子達が結集して、

反乱を起こします。

この反乱を鎮圧したのは宣太后の甥で、昭王を王位に付けた立役者である魏冄です。

彼はこの反乱で昭王に不満を漏らしていた勢力を全て殺害し、

反対勢力の撲滅に成功。

彼の反乱鎮圧に際しての手際の良さと

宣太后が昭王の摂政(せっしょう)として秦の政権を握った事で、

彼は一躍秦国内で最大の勢力として力を振るうことになります。

 

楚と同盟するも・・・・

 

昭王は以前から仲が悪く仇敵同士であった楚と会盟。

この結果楚から奪った土地を返すことによって盟約が結ばれることになります。

しかし楚は秦と同盟を結んだことによって東の超大国である斉と

魏から攻撃を受け続けることになってしまいます。

楚は二つの国から攻撃を受け続ける事によって危機感を感じ、

秦へ援軍を送ってくれるように要請。

この時楚王は自らの息子を秦へ人質として向かわせます。

しかし楚の太子は秦国へ入ると昭王の配下を殺害して、楚へ逃げ帰ってきます。

この事を知った昭王は楚との同盟を破棄して、楚へ連年攻撃を仕掛けていきます。

この結果楚の城を奪い続けることになり、楚の国力は減少していくことに。

 

昭王の謀略

 

昭王はある事を思いつき秦の出入口である武関(ぶかん)で楚王を呼び寄せて、

楚と同盟を結ばないかと申し入れます。

楚王は秦に毎年城を攻撃されて、危機的状況に陥っていた為、

喜んでこの申し入れを受け入れます。

楚王は秦の国に入ると武関を閉められてしまい外へ出ることができなくなり、

そのまま秦の首都である咸陽(かんよう)に連行されることになります。

しかし楚王は咸陽に着く前に病死してしまいます。

こうして楚へ復讐を完了した昭王は大いに満足し、

その国力は秦と決定的な差を付けれられることになります。

 

憧れを抱き続けた孟嘗君

孟嘗君

 

昭王(しょうおう)は尊敬している人物がおりました。

その尊敬している人物の名前は斉国にいる田文(でんぶん)と言われる人物です。

この田文は春秋戦国時代を代表する人物で、

俗に戦国四君の一人、孟嘗君(もうしょうくん)としてのほうが、

有名になっています。

またキングダムに登場する楚の春申君(しゅんしんくん)はこの戦国四君の一人です。

昭王は孟嘗君が大好きで、いつかは会ってみたいと王になる前から考えておりました。

そして秦王になってからもこの願いは消えずに、

斉へ自分の弟を人質に出して孟嘗君に来てもらいたいとお願いします。

孟嘗君は秦王の熱意にほだされて秦へ行く気になります。

しかし斉王に仕えていた家臣の反対によって、秦へ行くことを取りやめることにします。

 

やっと憧れの人物孟嘗君がやって来る

 

孟嘗君に一度振られたことによって意気消沈していた昭王。

昭王が意気消沈していた頃、斉の緡王(びんおう)が孟嘗君へ「秦に行ってこい」と

命じておりました。

緡王は孟嘗君が大嫌いで、斉の外へ出てくれるのは大いに願っていたことなので、

秦へ孟嘗君を活かせることにします。

意気消沈していた昭王の元へ「孟嘗君がやってきますよ」と報告を受けると

昭王は大いに喜び彼を函谷関(かんこくかん)まで出向いて迎えます。

その後昭王は孟嘗君・田文を秦の宰相へ任命して、秦の国政を行ってもらいます。

 

孟嘗君の悪口を言う家臣

孔融

 

昭王は孟嘗君を宰相へ任命したあと毎日彼の元へ訪れて色々な事を話します。

こうしてしばらくは孟嘗君の元へ入り浸っていた昭王ですが、

孟嘗君の悪口を言ってくる家臣が増えておりました。

しかし昭王は憧れの孟嘗君の悪口を聞いても顔色を変えずに無視しておりました。

だがこうした悪口が昭王の元に毎日入ってくると彼も孟嘗君を信じきれなくなってきました。

そしてそんな彼にある家臣が「孟嘗君は斉の人であるから秦の宰相へ任命しても秦国に、

利益をもたらすような事をしないで、斉の利益となるような事をおこなっていくことになるでしょう。」

と進言。

この進言を聞いた昭王はついに孟嘗君を殺害しようと考えます。

 

孟嘗君暗殺計画発動するも・・・・

孟嘗君

 

昭王は孟嘗君を殺害するべく計画を練り、暗殺計画を発動します。

孟嘗君は昭王の殺害計画を食客から聞いて、急いで逃亡を開始。

しかし夜中に逃亡してしまったことが原因で、秦の玄関口である函谷関は閉まっていました。

この時孟嘗君の食客の一人が鶏の鳴き声を真似して鳴き声を発します。

この声を聞いた函谷関を守備していた守将は、

函谷関を開ける時間だと勘違いして開けてしまいます。

こうして孟嘗君は難なく函谷関を出て秦国から逃亡することに成功。

この逃亡劇と孟嘗君の食客の活躍を「鶏鳴狗盗(けいめいくとう)」と呼ばれ、

現在にも残ることわざの一つとなっております。

昭王は孟嘗君の殺害に失敗した事によって大変な事態をもたらすことになります。

 

連合軍が秦へ攻めてくる

兵士 朝まで三国志

 

孟嘗君は斉へ帰るとすぐに魏と韓へ使者を発します。

この使者は「調子に乗っている秦へ鉄槌を下そうではないか。」と呼びかけます。

するとこの二つの国は孟嘗君の誘いに乗って軍勢を出陣。

こうして・韓の3カ国連合軍は秦の国門である函谷関へ攻撃を仕掛けてきます。

この事態を知った昭王は大軍を派遣して函谷関防衛に向かわせますが、

孟嘗君の卓越した指揮によって函谷関は陥落してしまいます。

昭王は孟嘗君を怒らせたことを大いに後悔し、

連合軍に土地を分け与えて和睦することになってしまいます。

そして彼は孟嘗君を二度と怒らせないようにしようとこの敗戦によって決意することになるのです。

 

秦の若き宰相・魏冄登場

赤兎馬と武霊王

 

趙の武霊王(ぶれいおう)から派遣されていた楼緩(ろうかん)は秦の宰相となっておりました。

彼は秦が趙の不利になるような動きをさせないために宰相となっていましたが、

武霊王から趙へ戻ってくるように命令された事がきっかけで秦の宰相の位を辞退して、

趙へ帰っていきます。

その後秦の国の宰相となったのは、

昭王(しょうおう)に不満をもっていた公子達が反乱を起こした際に、

速攻で鎮圧してその手際の良さによって秦国内で権力を得ることになった魏冄(ぎぜん)が、

宰相へ就任することになります。

魏冄が宰相になったことで、秦の国力は一気に増大することになります。

ここまで昭王は一切キングダムで活躍しているような場面はありません。

今後彼は「戦神」と言われるような活躍をすることが出来るのでしょうか。

 

名将が登用される

兵士 戦術

 

魏冄は宰相に任命されると富国強兵策を推進して、秦の国力を増大させていくことにします。

また近隣諸国へ戦を行っていき、数々の勝利を挙げていきます。

こうして秦は戦国七雄の中でも最強クラスの国として君臨していくことになります。

昭王はこの時、政にほとんど口出しをしないで、魏冄のやり方を追認していくだけでした。

こうして魏冄は秦の内政を整えていく間に一人の人物を見出します。

その名を白起(はくき)と言います。

魏冄は彼を早速昭王に推薦。

昭王は魏冄の推挙に賛同して白起に爵位を与えることにします。

こうして白起は魏冄と昭王に見出されて歴史の表舞台に姿を現すことになります。

 

白起乱舞

白起(春秋戦国時代)

 

白起は歴史の表舞台に登場すると早速軍功を重ねていくことになります。

彼は伊闕(いけつ)の地で韓・魏連合軍を撃破。

この戦いに勝利した白起は両国の城をいくつか奪う大勝利を残して凱旋します。

昭王はこの大勝利によって彼を軍の司令官の位を与えます。

白起は軍の司令官になると魏へ攻撃を行い、

60城以上の城を奪う大戦果を上げることに成功。

その後も白起は魏や・斉・趙の国を攻撃して多大な戦果を挙げていくことになります。

この結果秦は戦国最大の勢力を誇ることになり、他の国々よりも一歩も二歩も抜きんでることに。

昭王はこの凄まじい戦果に報いるため、彼に武安君(ぶあんくん)として称することを許し、

彼に領地を与えることで、報いることにしました。

 

宰相の交代そして・・・

 

魏冄は自らも軍を指揮して絶大な勲功を上げていき、

秦の王族を凌ぐほどの権勢を手に入れておりました。

彼は自らの権勢を守るために他国の人が秦へ入ってこないようにします。

しかし一人の人物がやってきたことによって秦の国力を増大させてきた魏冄の時代が

終焉を迎えることになります。

その人物の名は范雎(はんしょ)と言います。

彼は秦国に来た当初登用されることなく、ダラダラと日ばかりが過ぎておりました。

しかし魏冄が斉の国へ攻撃を仕掛けて勝利を収めた際、

范雎は昭王に「名君は功績ある者をどんどんと褒めて褒美を与え、

能力ある人材はすぐに登用されていくと聞いたことがあります。

私はいま王に能力がない人物であると思われているから登用されないのでしょうか。

それとも私を推挙した人物が宦官であるから推挙されないのでしょうか」と手紙を送ります。

この手紙を見た昭王は急いで、范雎を呼び寄せて彼と会見を行います。

昭王は范雎と会見したことによって彼が非常に優秀な能力を持った人材であることを見抜き、

彼を登用することに決めます。

そして宰相であった魏冄を追放して、自らの領地へと移るように命令。

こうして魏冄は秦の宰相の位を追われることになり、

自らの領地へ行きその地でひっそりと暮らしていくことになります。

そして魏冄の代わりの宰相として范雎が就任することになるのです。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

昭王はこうして見ると全くと言っていい程、彼自身には戦神の要素は無いように思えます。

しかし人材を見抜いて活用していくことに関しては優秀な人物でした。

まず魏冄を宰相に任命したことと白起の登用です。

もし魏冄と白起のふたりを揃えることができなかったら秦は

天下統一を行うことができなかったと言っても過言ではありません。

このふたりのおかげで秦は一気に国力を増大させて、領土拡大に成功することになります。

また范雎を登用したことも大きいでしょう。

昭王は戦神ではなかったかもしれませんが、

歴代秦王の中でも上位に位置する名君ではあったことは間違えないと思います。

「今回の春秋戦国時代のお話はこれでおしまいにゃ。

次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう

それじゃあまたにゃ~」

 

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