甘茂はどんな人?白起とは正反対世渡り上手将軍の国王操縦テクニック

2021年11月14日


 

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甘茂

 

キングダムにも登場した目玉ギョロギョロ大将軍白起(はくき)。彼は生涯に80万人以上の敵兵を殺し天才将軍と恐れられましたが、逆に味方の心を読む事が全く出来ず、白起の才能を恐れた秦王に自害を命じられて果てました。

 

甘茂(かんぼう)は白起の一世代前の将軍ですが、正反対の世渡り上手で天寿を全うします。今回は甘茂の生涯を解説してみましょう。

 

春秋左氏伝

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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楚出身の甘茂 左丞相になる

洛陽城

 

甘茂は秦ではなく()下蔡(かさい)の人で、張儀(ちょうぎ)樗里子(ちょりし)の推挙で秦に仕えました。秦の武王の時代に蜀で謀反が起きると甘茂は王の命令で謀反を鎮圧し左丞相(さじょうしょう)まで昇進しました。

 

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武王の命令で魏と結び韓を攻めようとするが

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

秦の武王は洛陽までの道のりを自由に往来し周王朝を圧迫したいと考え甘茂に相談すると、甘茂は魏と同盟して韓の主要な都市である宜陽を落とす段取りを整えます。ところが、甘茂は魏と同盟したものの、なかなか宜陽を攻めようとしません。不審に思った武王は自ら魏の近くの息壌(そくじょう)にいた甘茂に理由を尋ねます。

 

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—熱き『キングダム』の原点がココに—

春秋戦国時代

 

 

例え話で信頼がうつろいやすい事をPR

内容に納得がいかないkawauso様

 

甘茂は武王に「宜陽は大都市なので簡単には落ちません。私はその間に王が心変わりして宜陽を攻める事を中止させるのではないか、気がかりなのです」と答えます。

 

武王は笑い「心配はいらぬ。余は将軍を信じておるぞ」と楽観的ですが、甘茂はさらに話を続けました。

 

曹参(そうしん)

 

「昔、曹参という親孝行で有名な男がいました。ある時、曹参と同姓同名の男が殺人の罪を侵し、それを曹参と勘違いした人が曹参の母に曹参が人を殺したぞ!と告げました。母は(はた)()りをしていましたが、うちの参ちゃまは人を殺すような野蛮人じゃないざーます。と平然としていました。

 

しかし、曹参が人を殺したと告げる者が、二人、三人と増えてくると曹参の母は恐ろしくなり機織りの道具を投げだして逃げてしまったのです。曹参と母の絆があっても、たった3人の人間の言葉で簡単に揺らいでしまうのです。ましてや、私と王の関係は曹参と母の関係ほど強固ではなく、王に私の事を讒言(ざんげん)するものは、3人どころではありません。

 

私は他国人で、王には信頼する重臣が多くおられますので、彼らが私を讒言すれば王は、彼らの肩を持ち宜陽を攻める事を中止して魏を裏切り、私は韓と魏に恨まれる事になります。それが不安なのでございます」

 

「では、どうすればよいのか?」という武王に甘茂は、この息壌に祭壇を築いて、宜陽が陥落するまで決して甘茂を呼び戻さないと誓いの儀式をしてくれと頼みます。

 

武王は、甘茂の不安を和らげる為、息壌で大々的に誓いの儀式をし、甘茂はこれを受けようやく魏と共に韓の宜陽を攻めました。

 

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朝の仕度のお供は!ながら三国志

 

 

息壌をお忘れか?

秦の3代に仕えた世渡り上手な甘茂

 

甘茂の懸念(けねん)通り、宜陽は攻城して5か月経過しても落ちません。韓は賄賂を出し武王の重臣を買収したので、彼らは武王に甘茂の悪口を吹きこみ続けます。いよいよ不安になった武王は、甘茂に秦に帰還するように命じました。甘茂は逆らわず言われた通りに秦に戻り、武王が口を開く前に大声で言います。

 

「王よ!息壌をお忘れか?今が正念場(しょうねんば)ですぞ」

 

武王は瞬時に息壌の誓いを思い出し、甘茂に謝り宜陽を攻め続けるように命じます。こうして甘茂は何とか宜陽を攻め落とし秦は周王朝に圧力を掛ける事が可能になりました。

 

甘茂は人間の信頼がうつろいやすいものであることを理解しており、息壌で武王に誓わせる事で曹参の例え話をすぐに思い出せるように仕組んでいたのです。

 

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戦国策

 

 

甘茂、讒言を恐れ秦から逃亡

逃亡する兵士 三国志ver

 

この後、楚が韓を攻め、韓は使者を派遣して甘茂に救援を求めました。甘茂は武王から代わった昭襄(しょうじょうおう)に「韓を放置すると楚と同盟を結び魏と連携して三ヵ国で秦を攻めるかも知れません。そうなる前に楚を叩きましょう」と進言し韓を救いました。

 

さらに甘茂は昭襄王に進言して韓の領地の武遂(ぶすい)を韓に返還します。ところが武遂を韓に還すのに反対だった重臣の向寿(しょうじゅ)公孫奭(こうそんせき)は甘茂を恨み、昭襄王に讒言を繰り返し甘茂は身の危険を感じて秦から亡命しました。

 

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第三者を使い身を守る方法

蘇秦(そしん)は合従連衡を行った

 

甘茂は斉に逃げようとする途中、縦横家(じゅうおうか)蘇代(そだい)に出会い、秦が自分を殺さないように助けて欲しいと頼みました。

 

蘇代は承知し、昭襄王に会うと「甘茂は3人の秦王に仕えて秦の事を知り尽くしています。彼を放置して斉を動かし韓や魏と同盟して秦に攻めてきたら強敵となりますよ」と脅します。

 

昭襄王は恐れ、上卿(じょうけい)の位と宰相の印を与えて秦に迎えようとしますが甘茂は来ませんでした。

 

それを見届けてから蘇代は斉王に説くには「甘茂は賢人で、秦が宰相の待遇で迎えようしたのに斉に仕えたいと考えて応じませんでした。王はその忠誠にどのように応じられますか?」

 

斉王は喜んで甘茂に上卿の位を与えて斉に留めました。こうして身の安全を保障された甘茂は天寿を全うして斉で死去したのです。

 

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キングダムネタバレ考察

 

 

キングダム(春秋戦国時代)ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

甘茂の戦績は白起に比較すれば物足りないものですが、3代の秦王に仕えただけあり、王の心を観察し、怒らせずに操縦する術を心得ていました。敵よりも味方を警戒し天寿を全うした甘茂は王翦に匹敵する世渡り上手と言えるでしょう。

 

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孔門十哲

 

 

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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