蜀が建国されるのが西暦221年のことです。
蜀は西暦263年に魏に攻め滅ぼされますが、
この期間に「軍師」と呼ばれる活躍を見せるのは「諸葛亮孔明」ただひとりでしょう。
もちろん諸葛亮孔明は西暦234年の五丈原の戦いで病死しています。
その後の三十年間は、諸葛亮孔明の遺志を継いだ蒋琬や費禕、姜維などが協力して蜀を引っ張りますが、
軍師とはまた違った働きようだったと思います。
今回は蜀建国以前に劉備に仕えた軍師・参謀役について触れていきます。
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劉備の相談役(1)
劉備は長らく軍師というものを傍に置いていません。
猛将・関羽や張飛、趙雲の武力で充分、戦場で活躍できたからです。
ただし、長期的な視野も持つ英雄・曹操にはどんどん差をつけられていきます。
要するに諸葛亮孔明に出会うまでの劉備は、
その場しのぎの戦いや政治しかしていなかったことになります。
そんな中で、劉備が相談した相手に「麋竺」がいます。
徐州の豪商で、地元では名の知れた名士でもあります。
陶謙に代わり徐州を治めることになった劉備は、地縁がある麋竺に協力を求めるのです。
麋竺が活躍するのは政治面にのみで、戦場での戦略面ではまったく顔を出してきません。
軍師というより相談役です。資金もかなり出資していたと考えられます。
麋竺は劉備が入蜀した際に、諸葛亮孔明を上回る席次を与えられています。
それだけの活躍をしてきた証でしょう。
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劉備の相談役(2)
各地を転戦する劉備が荊州の地に落ち着く期間があります。
このとき、劉備の相談役になったのが伊籍です。
荊州での身の振り方について親身に助言してくれています。
伊籍の功績があって、劉備は荊州で少しずつ力を蓄えていくのです。
入蜀の際し、やはり伊籍も上位で評価されています。
この伊籍が荊州の地で劉備に紹介したのが、馬良、馬謖の兄弟です。
劉備の相談役(3)
馬良は荊州の地に留められ、関羽の補佐を務めました。
同じく劉備の呉攻めにも助力し、地元の異民族との交渉を成功し、その協力を取り付けています。
ただし、戦略面で劉備に助言することはなく、あくまでも政治面での補佐役でした。
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初の軍師
劉備の配下で軍師として将に指示したのは「徐庶」が初めてとなります。
三国志演義では見事な采配で魏の名将・曹仁を撃破して関羽や張飛を驚かせました。
劉備は改めて軍師の存在の重要性を感じるのですが、
徐庶はその後、曹操の引き抜きにあって劉備の下を去ります。
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三顧の礼
徐庶の紹介で劉備が直接出向いて軍師に迎えたのが諸葛亮孔明です。
その後の劉備軍は明確な目標を掲げ、
戦うことも負けることもこの目標に近づくために戦略的に行動するようになります。
こうして劉備は荊州南部を手にし、さらに益州まで領地としていくのです。
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鳳雛
その諸葛亮孔明の紹介で劉備に出仕したのが鳳雛の異名を持つ龐統です。
彼は益州攻略において軍の方針を定めて進軍しています。
やや冷酷非情な献策をしますが、
劉備に拒否されると別の案を提案するなど臨機応変ぶりも発揮していきます。
しかし益州攻略の途中で戦死しています。
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内応した軍師
益州攻略で一番貢献したのが益州の劉璋に仕えていた法正です。
法正は劉備に内応しており、効果的な進軍、攻略を提案してやがて成都を無血開城させます。
さらにその後の魏との戦いでも才能をいかんなく発揮し、
魏の名将・夏侯淵を討つための策を披露しています。
歴代において諸葛亮孔明と肩を並べる功績を残した軍師はこの法正です。
残念ながら蜀建国直前に病死しています。
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三国志ライター ろひもと理穂の独り言
こう見ていくと、劉備に仕えた軍師は、
徐庶・諸葛亮孔明・龐統・法正の4人といえるのかもしれません。
残念ながら蜀が建国された際に劉備の下にいたのは、このうちで諸葛亮孔明だたひとりです。
4人が揃って魏攻略に着手できていたら、歴史は大きく変わったかもしれませんね。
シュミレーションゲームであればそんなifの世界を実現できるのですが……。
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