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劉備(りゅうび)でもありません。
実は、三者とも中華統一の夢半ばで倒れ、その大事業は魏を纂奪した
晋の武帝、司馬炎(しばえん)によって西暦280年に達成されました。
この司馬炎の祖父こそが、諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)と
北伐で対峙した司馬懿仲達(しばい・ちゅうたつ)です。
それは、さておき、彼には、首が180度回るというエクソシストな逸話があります。
果たして、それは事実なのでしょうか?
この記事の目次
晋書 宣帝紀に記された信じがたい記述
司馬懿は晋王朝の土台を築いた人物として正史三国志には紀が立たず、
晋書に宣帝紀として記録が残されています。
その記録の末尾に、司馬懿の首が180度回ったとされる逸話があります。
魏武察帝有雄豪志 聞有狼顧相 欲驗之
乃召使前行 令反顧 面正向後而身不動
意訳:魏武(曹操)は帝(司馬懿)が野心を持っている事を知っていた。
また、司馬懿が狼顧の相を持っていると聞きそれを確認してみたくなった。
そこで、司馬懿に自身の前を歩かせ、後ろを振り返るように命じると、
面(首)だけが後ろを振り向き、体はまったく動かなかった。
ね?このように史書は司馬懿が顔だけを後ろに向けて、体は不動だったと
記録しています、つまりエクソシストのように首だけが動いて真後ろを
向いたとハッキリ書いているのです。
参考文献:晋書
著者: 越智 重明 出版社: 明徳出版社
そんなモノは史書の比喩に過ぎない?
しかし、首が180度回るという信じがたい人間離れした記述に、
古くから多くの研究者が、これは狼顧の相という言葉に対応していて、
狼のように用心深く、視野が広くてまるで真後ろでも見えているようだ、、
という事を比喩して記したのだと主張しています。
確かに、例えば劉備などは、自分で自分の耳を見る事が出来る程に耳が大きく
手はそのままで膝を触れる程に長いとありますから、比喩や誇張かも知れません。
ですが、一方で本当に司馬懿の首が180度回った可能性も否定できないのです。
どうして、人間は真後ろを見る事が出来ないのか?
一般的に、私達人間の首は180度回る事がありませんが、
それはどうしてなのでしょうか?
答えは首の骨の数にあります、私達が属する哺乳類は大体、首の骨が
7個と決まっていて、首の長いキリンも7個しかありません。
これにより、首の可動域が狭くなり、体を動かさずに真後ろを見る事が
出来ないのです。
一方で鳥類の首の骨は、哺乳類より遥かに多い事が分っています。
白鳥の首の骨は25もあり、フクロウは12~14個もあります。
フクロウは180度以上、首を回転できますが、それは首の骨が
多い為に可能になっているのです。
哺乳類の例外、ミツユビナマケモノ
しかし、それでは、哺乳類である人類の首は180度回らないという
証明にしかならないのか?というとそうではありません。
実は哺乳類でも、ミツユビナマケモノという種は例外的に首の骨が9個あります。
そして、推測通り、ミツユビナマケモノは真後ろを向けるのです。
それは、哺乳類であっても、真後ろを向ける種がいるという証拠です。
人間にも稀ではあるが、首の骨が8個、9個の人がいる!
実は、稀ではありますが、人間にも首の骨が8個、ないし9個という人がいます。
首の骨が多くても自覚症状はなく、レントゲンなどを撮って分かる事が多いようです。
もちろん、首の骨が多くても、生活に支障はないのですが、狭い首の面積に、
余分に1~2個の骨が入る事によりストレートネックという症状が出る事があります。
では、ストレートネックとは、どんな症状なのでしょうか?
首の骨が多い事でも起きる、ストレートネックとは何か?
ストレートネックとは、首の頚椎の生理的前湾角度が30度以下の
首の状態になる事を言い病名ではありません。
普通の人は首の頚椎の生理的前湾角度が30~40度存在していて
適度に湾曲しているので頭の重さをある程度、分散出来ていますが、
ストレートネックの人は湾曲がない分、首が真っすぐになってしまい、
頭の重さをまともに首と肩で受け止めてしまう事になります。
この状態が続くと、慢性的な頭痛や、首の痛み、肩コリ、または首を
長時間圧迫されて手足の痺れなどの症状が出る事があります。
病気ではありませんが、首の骨に隙間がない事により体の不調が
出てくるという事なのです。
司馬懿がストレートネックであった事を記録した文献がある
実は司馬懿にも、ストレートネックの症状が疑われる記述があります。
それは晋書の宣帝紀にあり、曹操に仕えるように言われた司馬懿が、
自分は中風を患っており、期待に添えませんと断る場面です。
漢建安六年 郡舉上計掾 魏武帝為司空 聞而辟之
帝知漢運方微 不欲屈節曹氏 辭以風痹
この風痹というのが中風を意味していますが、つまり曹操に仕えるように
言われたが、私は中風で動く事が出来ませんと言い、断ったというのです。
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