穆皇后は同時代に大勢いた!劉備、献帝、司馬懿に嫁いだ穆皇后のお話

2022年9月27日


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三国志を語るセンさん

 

三国志(さんごくし)にはたくさんの人物が出てきますよね~。まだまだ三国志の世界に足を踏み入れたばかり……という方は、登場する人物の名前を覚えるだけでも大変!

 

という方も多いのではないでしょうか。

 

李粛

 

例えば紛らわしい所で董卓(とうたく)配下と孫権(そんけん)配下に「李粛(りしゅく)」と同名且つ性格がまるで違う同姓同名の別人がいます。これに没後のおくり名なども加わると余計にこんがらがる……ということで、今回は更にこんがらがって頂くため、たくさんの「穆皇后(ぼくこうごう)」についてご紹介しましょう。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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呉懿の妹である劉備の後妻穆皇后

呉懿と劉備

 

まずご紹介するのは(しょく)劉備(りゅうび)の妻、呉夫人(ごふじん)。ややこしいですが呉から嫁いできた孫権の妹ではありませんよ、彼女は孫夫人(そんふじん)です。

 

呉夫人は呉懿(ごい)の妹で、(かつ)劉焉(りゅうえん)が入蜀した際に家族で同行しました。しかし彼女は人相見から「いずれ高貴な身分になる」と言われたことで、劉焉は彼女を息子の嫁に向かえます。ですがこの夫は早逝してしまい、彼女は未亡人となって過ごしていました。

 

呉懿が孔明に嫌われた理由

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劉備の死後皇太后になった呉夫人

計画通りの顔をする法正

 

そこにやってきたのがかの「英雄は君と余だ」とまで曹操(そうそう)に言わしめた男、生き残ることに定評がある劉備その人。当時、妻であった孫夫人が問題ばかり起こしていたために新しい妻を……と勧められたのが呉夫人です。

 

蜀を手に入れた劉備は、流石に同姓の未亡人を娶ることに難色を示すも、法正(ほうせい)の説得もあってこれを受け入れました。かくして呉夫人は、劉備の皇帝即位と共に皇后に、そして皇太后に。その死後は穆皇后とおくり名されることとなりました。

 

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法正

 

 

曹操の娘で献帝に嫁いだ曹節

献帝

 

さてさてお次にご紹介するのは劉備のライバル、曹操の娘にして魏の皇帝曹丕(そうひ)の妹である曹節(そうせつ)です。曹操の娘だった彼女は、曹操が献帝(けんてい)を保護した際に妻の一人として迎えられます。迎えられたのか迎えさせられたのかは難しい所ですが、彼女は献帝の貴人となりました。

 

処刑を下す曹操

 

しかし後、献帝の皇后であった伏皇后(ふくこうごう)の父親が、曹節の父親である曹操の暗殺計画を企てたとして、伏皇后は罪に連座され処刑されました。その後、皇后に昇格したのが曹節です。

 

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最後まで献帝を庇い続けた献穆皇后

玉璽

 

三国志演義(さんごくしえんぎ)では曹丕に禅譲を迫られ追い詰められた献帝を更に追い詰める曹節ですが、実際にはこの当時は既に献帝は曹丕に逆らうことなく、禅譲はスムーズに……行われませんでした。

 

この時に曹丕に怒り、刃向かったのが曹皇后、つまり曹節です。曹節は玉璽(ぎょくじ)を渡すのを拒絶、最後には泣き叫びながら使者に投げつけ、その後は最期まで夫である献帝、山陽公に付いて行きました。

 

その後、彼女は穆皇后、夫のおくり名を重ねて献穆皇后(けんぼくこうごう)と呼ばれることになります。

 

最後まで献帝を見捨てなかった曹節

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子だくさん曹操の娘の一人『曹節』について語りたい。

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全訳三国志演義

 

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

-司馬懿