劉備は赤壁の戦いの後に益州の使者である張松(ちょうしょう)と法正(ほうせい)から
蜀を乗っ取るように勧められます。
劉備の軍師である孔明や龐統(ほうとう)は益州攻略をするべしと劉備に説いたことがきっかけで、
蜀攻略戦が行われることになるのは皆さんご存知だと思います。
蜀の主であった劉璋(りゅうしょう)を降伏させて蜀を手に入れることになります。
彼ら武将や軍師達の働きが蜀攻略に貢献したことは間違えないことですが、
実は彼らの他にも活躍した物がありました。
それは地図です。
今回は蜀攻略戦で活躍した地図にスポットライトを当てて見たいと思います。
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蜀の詳細な地図を手に入れる
劉備は赤壁の戦いが終わると荊州(けいしゅう)南部を占領することに成功。
劉備の人生において初めて広大な領土を手にし、地方領主として出発することになります。
彼が南荊州を領土として経営を始めた頃、益州から使者がやってきます。
この使者の名前は張松といい、劉璋の外交官として色々な軍閥へ挨拶を行っておりました。
張松は劉備と会見して蜀のことなど色々な話を行った後、帰っていきます。
その後再び張松が蜀からやってきて劉備へ「蜀の領主である劉璋は政治に関心がなく為、
民衆は苦しんでおります。
また漢中から張魯が蜀に攻撃を幾度も仕掛けており、
このままでは張魯に益州を取られてしまうかもしれません。
そこで劉備殿に蜀を攻略してもらいたいと考えております。」と驚くべきことを述べます。
そして彼は置き土産として「今回私はあなた様に蜀を攻略してもらう際、
必要な物を用意してきました。
それはこの地図です。ここには蜀の物産や道路、城の規模、守備兵、
各地に住んでいる民衆の数などが事細かに記載しております。
これを参考にして蜀攻略を行えば簡単に蜀攻略ができるのではないのでしょうか。」と
詳細な地図を劉備に渡し、張松は帰っていきます。
準備完了してあの男がやってくる
張松は蜀へ帰還すると劉璋へ「劉備殿は人柄もよく、
曹操とは比べ物にならないくらい頼りになる人物であると考えます。
また同じ劉姓であり、殿がお願いすれば必ず力になってくれると考えます。
そこで殿には張魯討伐の正式な依頼を劉備殿へ出すべく、許可をいただきたいと思います。
劉備殿へ張魯討伐依頼を出す際には法正を起用するといいと思います。」と進言。
劉璋配下の文官・武将のほとんどが反対しますが、劉璋は張松の意見を聞いて張魯討伐の
依頼を劉備に出すことを決めます。
こうして法正が劉璋の正式な使者として劉備の下へ向かいます。
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張松の地図を参考にして劉備の蜀乗っ取り作戦発動
劉備は張松が去った後、孔明・龐統の三人で蜀乗っ取り作戦について話し合いを行います。
この席で劉備は孔明と龐統から説得されて蜀乗っ取りを行う決意を決め、
孔明と龐統の三人で張松からもらった地図を参考にしながら、
作戦を詳細に渡って決めていきます。
その後法正がやってくると劉備は法正に蜀乗っ取り作戦を行うことを告げて、
蜀へ軍勢を連れて向かうことになります。
三国志ライター黒田レンの独り言
劉備はその後張松からもたらされた地図を参照にして決めた作戦に則って蜀へ侵攻を開始。
そして上記で紹介したように劉璋を降伏させて蜀を手に入れることになるのです。
蜀へ攻撃を行ってからさしたる時間をかけずに主要都市を制圧し、
蜀乗っ取りに成功したのは武将や軍師の働き以外に、
張松がもたらしたこの地図のおかげであると考えますが、皆様はどう思いますか。
参考文献 潮出出版 キーワードで読む三国志 井波律子著など
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