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張飛の娘はサラブレッド?夏侯月姫と張飛の恋愛事情

2017年3月14日


 

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前回、関羽の娘の話をしましたが、義弟である張飛にも娘がいました。

ふたりの娘がいましたが、長女が張敬君という名前だったという説があります。

関羽の娘である関銀屏とは違い、武芸の腕を磨いたとは記されていません。

荒くれものの張飛の娘ながら、気立てが良く、美人で夫を支えたそうです。

今回はそんな張飛の娘の姿に迫りたいと思います。

 

前回記事:関銀屏(かんぎんぺい)とはどんな人?まさに三国志界のジェダイの騎士

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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運命の出会い

 

張飛の娘のお話をする前に、その母と張飛の出会いからお伝えしなければなりません。

この結婚は、簡単に言うと「略奪婚」です。

かつて呉の孫策、周瑜がこうして妻となる大喬、小喬を手に入れています。

問答無用で引っ張っていって妻にする方法です。

確かに張飛らしいやり方ですね。

ちなみに運命の出会いは西暦200年のことになります。

この年の1月に徐州の劉備は曹操軍に敗れ、関羽、張飛とバラバラになって逃げています。

 

 

劉備は北の雄である袁紹のもとに身を寄せ、関羽は劉備の妻子を警護しながら曹操に降伏しました。

そして張飛は徐州沛国の山塞に隠れ住んで兵を集めていたのです。

張飛の妻となる女はこのとき、山奥に薪を拾いに訪れていたところで、野盗に襲われました。

張飛は彼女の悲鳴を聞いてそれに気づいて駆けつけ、野盗を討ち果たしたのです。

まさにスーパーヒーロー登場のノリですね。

 

夏侯月姫

 

このとき女は13、14歳だったといいます。張飛はおそらく30歳以上だったことでしょう。

歳の差はあれど、張飛はこの美しい娘に惚れてしまいます。

そしてプロポーズして妻に迎えるのです。

あれ?略奪婚じゃないじゃん。

実際、彼女も命の危機を張飛に救われているのですから、

プロポーズされても嫌がることはなかったんじゃないでしょうか。

では、どこが略奪婚なのかというと、それは彼女の出生に秘密がありました。

彼女はなんと宿敵・曹操の縁戚にあたる夏侯淵の姪だったのです。

このとき夏侯淵は陳留の太守を務めていますが、強敵袁紹と官渡でぶつかる寸前でした。

つまり張飛は曹操軍からこの娘を略奪し妻にしたわけです。

彼女の名前は夏侯月姫といいました。

 

愛妻家の張飛

 

敵国の娘を妻に迎えた張飛ですが、周囲はやっぱり不満げです。

しかし張飛の暴勇を恐れて非難などできませんでした。

義兄の関羽は恋愛事には疎く、劉備も張飛のすることなら仕方がないなと認めたようです。

立場的には夏侯月姫の心情が気にかかりますが、

そこは張飛が常に明るく接して夏侯月姫の気持ちをほぐしたのでしょう。

互いの愛情が、やがて四人の子供たちの誕生につながっていきます。

長男は張飛の勇を受け継いだ張苞、次男は学問に優れた才をもった張紹、そしてふたりの娘たちです。

張飛は常に妻・夏侯月姫を気遣います。敵陣から向かってきた夏侯覇(夏侯淵の次男)を大喝で落馬させ、

妻の縁者ということで見逃しました。また、定軍山で討たれた夏侯淵を引き取って埋葬しました。

 

劉備の提案

 

そんな張飛に劉備が提案します。

お前の娘の張敬君をくれないか、と。

張飛はさすがに義兄の愛娼には、と断ろうとしたようですが、

劉備はそうではない、息子の劉禅の妻として迎えたいと伝えました。

張飛は感動して泣いたそうです。

こうして張飛と夏侯月姫の娘は、劉備の息子に嫁ぎ、皇后となったのです。

それが敬哀皇后です。

 

三国志ライター ろひもと理穂の独り言

 

劉備張飛・夏侯淵の血族が家族になる。

なんだかテンションの上がる話ですね。

仮に劉禅と張敬君の間に息子ができて、蜀や魏の滅亡後に、その再興のために立ちあがったりしたら、

蜀や魏のすごいレジェンドたちの子息たちが集結してきそうです。

そして司馬氏打倒に向けて強くなっていく。

なかなか面白そうな話だと思いませんか?

 

みなさんはどうお考えですか。

 

 

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ろひもと理穂

三国志は北方謙三先生の作品が一番好きです。 自分でも袁術主役で小説を執筆しています。ぜひこちらも気軽に読んでください! 好きな歴史人物: 曹操、蒲生氏郷

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