高祖・劉邦(りゅうほう)を支えたのは張良(ちょうりょう)と陳平(ちんぺい)だけではありません。
劉邦の挙兵時代から付き従っていた家臣の中も大勢おります。
その中でも文官として力を発揮していたのが蕭何(しょうか)です。
彼はあまり戦場で目立つような働きをしておりませんでしたが、
戦場の兵士達にとって一番大事な食料補給や
戦争が下手な劉邦のために兵士を募兵して前線へ送りこむ仕事を担当しておりました。
また三国志の英雄・曹操の先祖として有名な曹参は将軍として各地の戦場で活躍しており、
彼は韓信と共に趙平定戦や斉平定戦等で活躍していた人物です。
この二人は漢帝国が樹立されると蕭何は漢帝国の丞相として国政を担当し、
曹参は斉国の丞相として劉邦の息子を補佐しておりました。
別々の道を進むことになった彼らですが、漢帝国の群臣の中で知らない者は誰ひとりいないほど
仲が悪かったそうです。
そんな彼らですが、丞相蕭何がなくなる時に仲の悪かった曹参を次の丞相として任命するように
遺言を残して亡くなっていた事を知っておりましたか。
今回は仲の悪かった蕭何は曹参を後継者として推薦したのか。
この点にスポットライトを当てて見たいと思います。
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蕭何、病を得る
漢帝国の功臣として最大の栄誉を得た蕭何。
彼は劉邦が天下統一をしてから功労者達へ褒美を与えていきます。
この時蕭何は張良や陳平、曹参らを追い越して一番大きな領土をもらい、
爵位も一番偉い爵位をもらい宮殿では小走りに走る必要なくゆっくりと歩き、
剣もつけたまま殿上に上がって良く、皇帝に目通りする際は名前を呼ばれない
三つの最大の特典を与えれます。
上記は三国時代に曹操も献帝からもらった特典です。
こうした最大特典を与えられて漢の功臣の一番となった蕭何ですが、
漢の初代皇帝の死後、二代目皇帝・恵帝(けいてい)が即位した時に病にかかってしまいます。
私の次の宰相には曹参にしてくださいby蕭何
蕭何は病にかかっていまいます。
あらゆる医者に見せますが彼の容態は一向によくなりませんでした。
漢の二代目皇帝である恵帝は蕭何を見舞いに行きます。
恵帝は彼を見舞うと「丞相。もしあなたが亡くなった際、次の丞相は誰がいいのであろう」と
質問します。
三国志の諸葛孔明が倒れた際、劉禅の使者としてきた李福と孔明の質問に似ていますね。
話がそれました・・・・。すいません。
さて恵帝から質問をされた蕭何は「陛下は臣下の能力を見抜く力を持っておいでしょう。
次の丞相はもうすでに決めているのではないのでしょうか。」と尋ねます。
すると恵帝は「さすが丞相。私は次の丞相を曹参にしようと思うがどうであろう。」と答えます。
恵帝は蕭何と仲の悪い曹参の名前を聞いた事で激怒するのではと
ビクビクしておりましたが意外にも蕭何は納得して、
「陛下の仰る通りです。ぜひ彼を私の次の丞相としてください。」と
恵帝に伝えてから数日後に亡くなってしまいます。
戦国史ライター黒田レンの独り言
蕭何はなんで曹参を自らの後継者として推薦したのでしょうか。
漢帝国の家臣達が皆知っているほど仲が悪いのに・・・・。
レンの私見ですが二人は互いの能力を認め合っている仲で、
本当は仲が悪いわけではなく、超仲が良かったのではないのでしょうか。
では何で仲が悪いふりをしなくてはならなかったのでしょうか。
それは晩年の劉邦の疑心暗鬼から来ているのではないかと考えます。
漢帝国の功臣の仲で一番が蕭何ですが、二番手は曹参でした。
彼ら二人が仲良くしていれば疑い深くなった劉邦から、
あらぬ疑いをかけられる可能性があったため、二人は険悪な仲を演じていたのではにのでしょうか。
蕭何は劉邦から疑われて、一度牢屋にぶち込まれたこともあります。
上記のように考えれば腑に落ちるのですが、皆様はどうして二人は仲が悪かったと思いますか。
参考文献 史記 司馬遷著 訳:和田武司・山谷弘之など
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