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石奮(せきふん)とはどんな人?真面目で頑固者な性格が愛されて富貴を手にした万石君

2017年4月29日


 

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前漢を建国した高祖・劉邦(りゅうほう)

彼の元には色々な人材が集まり彼を支えたことによって、

天下統一の偉業を成し遂げることに成功します。

 

 

彼を支えた人材には軍略に秀でた張良(ちょうりょう)陳平(ちんぺい)などの人材や

内政の天才である蕭何(しょうか)、国士無双と言われた韓信(かんしん)などが有名です。

しかし今回紹介する人物はそのような異才の持ち主ではなく、

劉邦から人柄で愛されたことがきっかけで出世した人物。

その名を石奮(せきふん)と呼ばれ、漢帝国景帝から万石君と呼ばれた人物です。

いったい彼は何故万石君と呼ばれることになったのでしょうか。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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劉邦に従う

 

石奮は趙の住人で秦の始皇帝が天下統一した後小役人に任命されます。

始皇帝死後、天下は大いに乱れていき沛(はい)出身の大将である劉邦が

石奮が小役人をやっている土地へやってきます。

この時上司から「劉邦殿の身の回りの世話をやってやれ」と命令され、

石奮は劉邦の身の回りの世話を行っていくことになります。

劉邦は一生懸命身の回りの世話を行っている石奮をすっかり気に入り彼に色々と質問していき、

最後に「ワシと共に来る気はあるか」と訪ねます。

すると石奮は「はい。一生懸命仕えさせていただきたいと思います。」

と述べたことがきっかけで、劉邦に仕えることになります。

 

歴代の皇帝に仕えたことで出世していく

 

石奮は高祖劉邦に仕えると真面目にコツコツと仕えていきます。

劉邦の時代には劉邦に拝謁してくる人物を取り次ぐ役目に任命され、

劉邦の死後文帝の時代になると今までコツコツ真面目に仕事をしてきたことが評価されて、

太中大夫(たいちゅうたいふ=皇帝の顧問のような役目)を与えられることになります。

そして文帝が亡くなって景帝の時代になると彼はさらに出世することになり、

九卿(きゅうけい)の位にまで出世することになるのです。

九卿は2千石の給料をもらえる9つの官位のことを指す言葉です。

こうしてかなりのところにまで出世した石奮は景帝の時代の時に引退することに決めます。

 

身内にも真面目で頑固

 

石奮は引退した後も真面目な人物でした。

彼は役人からの挨拶も引退した後もひっきりなしに来ておりましたが、

彼よりも上の位の人物だろうが、下位の人物だろうが丁寧に接して行きます。

また息子や親族が罪を犯したときには、

その人に対して頭ごなしに怒鳴りつけたり折檻するのではなく、

自分の部屋に引きこもって一切食事を取らなくなったそうです。

この石奮の姿を見た親族達は心の底から反省して謝罪。

彼は謝罪した人が心の底から謝っていることを確認した時に初めて食事を食べたそうです。

このように身内にも真面目で役人にも丁寧に接する石奮を周りの人々は

大いにほめたたえたそうです。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

 

石奮は異才を放っていなかったのに劉邦に愛されたことがきっかけで、

その名を歴史にとどめることに成功します。

彼の頑固者は普通の人では考えられない位であり、

役人として働いていた息子がある日酔っ払って村の門を車で駆け抜けたそうです。

別に何一つ悪いことはないように思えるのですが、石奮はいっさい食事を食べなくなります。

その理由は「偉くなったのに村の門を車で駆け抜けて帰るとは何事だ。

お前の役職くらいになったら民衆からしたわれなければならないのに。」と述べてから

彼を許したそうです。

非常に真面目で頑固な人物ですが、彼が万石君と呼ばれたきっかけは彼には四人の息子がおり、

四人とも九卿の位を与えられておりました。

そのため石奮を含めて五人全員が2千石の位を保有していることから景帝はあるとき側近に

「石奮は親族すべてが2千石の位についておる。

五人合わせれたら1万石ではないか。

まさに人臣の中で最高のくらいが彼らに集まったようだな。

そうだあいつのあだ名を万石君と呼ぼう。」と言って笑いながら決めたそうです。

こうして石奮あらため万石君と呼ばれるようになります。

 

参考文献 史記 司馬遷 村山孚・竹内良雄著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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