みなさんは矛盾(むじゅん)と守株(しゅしゅ)という言葉を知っていますでしょうか。一度は大学や高校の古文で聞いたことのある言葉だと思います。この言葉を作ったのはキングダムで、李斯(りし)が昌文君(しょうぶんくん)にいった法家の名前として登場した韓非(かんぴ)です。
この韓非が執筆した現存されている図書目録となっている「韓非子(かんびし)」に収録されている言葉です。この言葉には皆さんが知っている意味の他に知られざる真実が、隠されていたことをご存知でしょうか。
今回は矛盾・守株の中に隠された真の意味についてご紹介しましょう。
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この記事の目次
韓非が作った故事成語・「矛盾」の意味とは!?
まず矛盾と守株に隠されている本当の意味を知る前に、この言葉がどのような意味を有している言葉であるかを今一度おさらいしてみましょう。まずは現在でも使用頻度の高い矛盾から。
矛盾の故事が生まれることになったきっかけは、戦国春秋時代(せんごくしゅんじゅうじだい)の超大国である楚(そ)の国が舞台となっており、以下がその故事が生まれることになった逸話です。
「楚の国で矛と盾を売る人物がいました。その人物いわく「この矛はどんな物体をも貫き通すことのできる矛で、この盾はどんな攻撃も弾き返すことのできる盾」であるそうです。そしてある人が「じゃこの矛で盾を攻撃すれば一体どうなるのか」と質問。
するとこの矛と盾を売っていた人物は答えることができなかったそうです。この逸話は韓非子の難一(なんいつ)編に記されており、ここから矛盾の故事が生まれることになります。そしてこの矛盾の意味とは前後が食い違って、理論的につじつまが合わないことを言う意味で現在でも使用される頻度の高い故事であり、はじさん読者も一度は使用したことのある故事ではないのでしょうか。
韓非が作った故事成語:「守株」の意味とは?
では次に守株の意味をご紹介していきましょう。守株は春秋戦国時代の宋(そう)の国のある農夫の逸話が、モデルとなって生まれることになった故事で、以下が宋の農夫の逸話となります。
「宋の国の農夫がたまたま切り株にウサギが頭をぶつけて死んだのを発見。農夫は切り株に再び頭をぶつけてウサギが亡くなるかも知れないと考えます。そのため農夫は切り株の前でウサギが頭をぶつけて死ぬのを期待して幾日も待ちますが、二度とウサギが切り株に頭をぶつけることて死ぬ事はありませんでした。宋の人々はこの農夫の逸話を知って、彼を馬鹿にして笑いあっていたそうです。」
以上が「守株」という故事成語が生まれることになった逸話です。この故事成語・守株の意味は古い習慣に囚われて融通のきかないという意味で、現在でも使いやすい故事ではないのでしょうか。
上記で矛盾と守株の意味をご紹介しましたが韓非が伝えたかった本当の意味は、上記でご紹介したような意味ではありませんでした。では韓非は一体この二つの故事から何を伝えたかったのでしょうか。ここからは矛盾と守株に隠された本当の意味をご紹介していきたいと思います。
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韓非が作った故事成語・「矛盾」の真の意味とは:儒家に対する批判だった!?
現在でも多くの人がさらっと使っている韓非が作った「矛盾・守株」についてご紹介しました。では韓非が自ら作った故事成語である「矛盾」の中で本当に伝えたかったのは、一体何なのでしょうか。
ここから韓非が作った故事成語である「矛盾・守株」の真の意味について迫ってみたいと思います。まずは矛盾からです。韓非が自ら作った故事成語である矛盾の中に込めた真の意味・・・・それは、儒家(じゅか)に対する痛烈な批判でした。
当時の中国では孔子(こうし)先生を中心として設立された儒家が非常に力を持っており、儒家達は古の聖人君子である堯(ぎょう)・舜(しゅん)の統治が、国を治める上で一番の理想であると説いておりました。堯・舜が行っていた統治は
「徳治主義(とくちしゅぎ=徳のある統治者が徳を用いて民衆を統治する方法)」と呼ばれる統治方法を実施。堯・舜が行っていた統治方法をざっくり説明しましょう。
舜は中華が混乱状態に陥った時自ら各地に赴いて労働。舜が三年間しっかりと各地で労働したことによって混乱状態が収まって、中華は正常化したそうです。この逸話を理由として儒教の始祖孔子先生や儒家達は、堯・舜の政治が国を治める上で一番方法であったと絶賛。
しかし韓非はここで「待った!!」をかけます。舜が奔走している間、堯は一体何をしていたのか。韓非は儒者にこのことを問いただすと儒家は「堯は天子様だった」と述べたそうです。すると韓非は「ちょっと待て。堯が偉大なる天子様であったならば、どうして臣下である舜が奔走して天下の混乱状態を収拾しなければならないんだ。
舜が奔走しなくてはならなかった理由は堯の統治が完璧ではなかったからではないか。もし堯の統治が完璧であったならば、中華が混乱状態になるわけがなく、舜が奔走して各地の混乱状態を収集することもなかったはずだ」とまくし立てます。儒家は面倒であったのかそそくさと韓非の元から逃亡。
韓非はここから「堯・舜の偉大な政治が両立することはない!!」と持論を展開。そして韓非は儒者に対して追い打ちをかける逸話として誕生させたのが、「矛盾」の故事成語です。
矛盾の真の意味は堯・舜ふたりの聖人君子が成立するのはおかしいだろうと儒家の人々を批判するために完成した故事だったのです。
韓非が作った故事成語・「守株」の本当の意味とは:政治も時勢と一緒に変化すべし
韓非は自らが作り出した故事成語・「矛盾」の真の意味は、儒家に対する批判の意味を込めて作り出した故事でした。では守株には一体どのような意味を込めていたのでしょうか。韓非が作った故事成語・守株の真の意味は、堯・舜の治世ばかりに囚われている儒家をあざ笑うためにこの故事を作り出したのです。
韓非が修めた法家は時勢を鋭敏に捉え、人口の増加、戦争の方法、領土の拡大などの変化に対応して政治を変えなくてはならないとしております。しかし儒家はいつまでたっても堯・舜の徳を大事にした統治が、一番いい方法であると唱え続けていたそうです。
韓非は儒家がいつまでたっても「堯・舜の統治方法がいい」と唱え続けていることを守株に例えおり、時勢と共に政治を変化させることができなければ、守株の故事にあるように宋の人に笑われてしまった農夫と同じである。
韓非は時勢と共に政治を変化させよといつまでも変わらない統治方法を述べる儒者達に皮肉の意味を込めて作ったのが守株という故事成語の中に隠されていたのです。
戦国春秋ライター黒田レンの独り言
いかがでしたでしょうか。韓非が作り出した矛盾と守株には、当時の儒家が唱え続けていた堯・舜の政治である「徳治主義」が、一番いいと言い続けていたことに対する批判の意味が込められて作られた故事でした。
しかしここでひとつの疑問が浮かぶのではないのでしょうか。儒家を避難しまくっていた韓非が考えた最良の統治方法とはという点です。この疑問に対して韓非は法律を用いて国家を統治する法治国家が、最良である説いております。
なぜ韓非は法を中心として国家を統治していくのがいいと思ったのでしょうか。それは賞罰を背景にした即効性のある法律を制定することによって、ボンクラな君主が出現したとしても官僚に法律を運営させれば、国家を統治することができることを理由として挙げております。実はこの韓非が考えた法治主義は三国志の蜀において立証されているのです。
蜀の二代目皇帝・劉禅はボンクラでしたが、孔明達官僚が一生懸命法律を考えて運用したことによって、国内は滅亡まで大きく乱れることなく国家として成立していました。韓非が考えた法治主義は春秋戦国時代の一時代だけで終わることなく、三国志の時代にも受け継がれており、法治主義の有用性が認められた事例として挙げることができるのではないのでしょうか。
参考文献 中公新書 諸子百家 湯浅邦弘著など
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