後漢末から三国志の時代では、戦乱の世であったため、
多くの女性や子供は戦争の犠牲者となっていました。
戦火の中では、非力な女性はあっさり亡くなってしまいそうですが、
地位の高い女性は側室として迎えられるケースがあります。
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馮氏とはどのような女性?
特に美しい女性はこのようなケースにとなる場合があります。
有名な話では、曹丕(そうひ)の妻である甄氏(しんし)がこのケースにあたります。
馮氏(ふうし)もこのような境遇になった高貴で美しい女性でした。
今回は、馮氏(ふうし)について御紹介致します。
馮氏は一言で説明すると
さて、馮氏(ふうし)ですが三国志演義しか知らない人は彼女のことを知らないかもしれませんが、
彼女は結構有名な人物です。正史三国志では、
馮氏(ふうし)は袁術(えんじゅつ)の側室として記されています。
演義では出番は少ないですが、正史では袁術(えんじゅつ)の側室ということもあって、
存在感あるポジションです。
馮氏(ふうし)は、司隸の出身です。
司隸は都の周囲を監視する役職である司隸校尉の管掌地域であるので、
彼女の父の馮芳(ふうほう)は司隸校尉であると推測されます。
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馮氏の生きた時代
彼女の生きた時代はちょうど、董卓(とうたく)の死後、
李傕(りかく)や郭汜(かくし)等のゴロツキが好き放題していたため、
曹操(そうそう)が献帝(けんてい)を保護し、都を許昌に移した頃でした。
許昌への遷都は建安1年(196年)でのことですが、
この頃貧富の差がとても激しくかったと伝えられています。
特に城の内外で大きく差がありました。
城の外では人々は飢えと寒さに苦しみ、互いを食い合うという地獄のような光景でした。
一方で後宮では女性達は美しく着飾った服を着て、
良質な米と肉があり余るほどあったそうです。
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袁術との出会い
さて、世は乱世真っ只中といった状態でした。
馮氏(ふうし)は戦渦に巻き込まれ揚州に非難していました。
その少し前に、袁術(えんじゅつ)は董卓(とうたく)の乱を経て、
諸軍との戦いの中で力を失い、揚州に落ち延びそこで力を蓄えていました。
袁術(えんじゅつ)は、城壁に上って城下を見ていると馮氏(ふうし)を見かけて一目惚れします。
袁術(えんじゅつ)はすぐに彼女を後宮に向かえ、寵愛しました。
袁術の下での馮氏
戦渦に巻き込まれていた馮氏(ふうし)でしたが、ここで袁術(えんじゅつ)の側室となりました。
前述したように後宮の中と外では凄まじい格差がありますので、
彼女は一転して後宮住まいの勝ち組となりました。
ところが新しく後宮に入った彼女を良く思わないものは多く、
他の女達に妬まれ、殺害されてしまいます。
死後、彼女は方女(ほうじょ)と諱されています。
そのため、現在馮氏(ふうし)は馮 方女(ふう ほうじょ)と呼ばれています。
演義での馮氏
三国志演義でも袁術(えんじゅつ)の妻として登場します。
袁術(えんじゅつ)が自称皇帝となった時、彼女は皇后に立てられました。
記述から判断して、馮氏(ふうし)は正史では側室であったのに対して、
演義では正室になっているようです。
袁術(えんじゅつ)は、曹操(そうそう)との戦で敗走しました。
兵は、討ち死にするものや逃げ出すものもあってか、最後に残った者は、
袁術(えんじゅつ)の親類がほとんどだったそうです。
袁術(えんじゅつ)は、病死し、その後馮氏(ふうし)は袁術(えんじゅつ)の甥、
袁胤(えんいん)に守られて、慮江郡まで逃れました。
しかし、戦の混乱の中で徐璆(じょきゅう)という男のために、
残った袁の一族は皆殺しにされました。
徐璆(じょきゅう)はこの時玉璽を奪い、都に届けたそうです。
三国志ライターFMの独り言
馮氏(ふうし)は、袁術(えんじゅつ)が夫(?)であるため、ご存知の方も多いと思います。
正史と演義の両方の彼女の生涯を比べると、
どちらも戦渦に巻き込まれた悲惨な生涯を送っているように見えます。
正史は記録であってそれは仕方が無いですが、
演義では自称皇帝の袁術(えんじゅつ)の妻という罰当たりな人の傍にいたためか、
悲惨な描かれ方ですね。
なお、正史では”馮氏(ふうし)ではない袁術(えんじゅつ)の正妻
は慮江郡の劉勲(りゅうくん)の元に身を寄せた後、
孫策(そんさく)に引き取られたそうです。
こうした話を聞くとなおさら悲惨ですね。
ところで、彼女は皇帝を名乗る袁術(えんじゅつ)をどう思っていたのでしょうか。
参考文献
魏志 袁術伝
九州春秋
瀬戸龍哉 著、三国志全人物事典、株式会社G.B.(2007)
渡辺精一 著、三国志人物事典、講談社(1991)
後漢書 第六冊 列伝三十八徐璆伝
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