現在、ヤングジャンプ連載中のキングダムにおいて、史上最強ではないかと思われているのは王翦(おうせん)です。しかし、 現在でもキングダムファンからリスペクトを受けている将軍と言えばそれは、王騎(おうき)将軍を除いてはいないでしょう。
現在も不動の人気がある王騎将軍、そこで、以前には、アメトークでも取り上げられ、キングダムブームの火付け役にもなった怪鳥、王騎大将軍について、解説します。
※この記事には漫画キングダムのネタバレが含まれています。
この記事の目次
キングダムの時代っていつ?
舞台は三国志(さんごくし)でも、項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)でもない、始皇帝が天下を取る前という日本では馴染みの薄い春秋戦国時代、普通なら見向きもされないマイナーなこの時代に、どうしてキングダム読者は熱くなるのでしょうか?
それは、物語を彩る、熱い男達のバトルが滅茶苦茶カッコイイから、三国無双さながらに、雑兵を蹴散らし、火花を散らす武将対武将の命を張った激突に、読者は心を鷲掴みされるのです。
ジ●ジョ風に表現すれば、こう!!!
「そこに痺れる、憧れるウッ!!!」
さて、そんなキングダムでもダントツの人気を誇る武将と言えば、言うまでもなく王騎(おうき)大将軍でしょう。
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秦の王騎大将軍ってどんな人?
秦の六大将軍の一人にして最期の生き残り、神速で戦場に現れて、劣勢を瞬く間に覆し、故に敵には怪鳥と恐れられる男です。この王騎、名将ではあるんですが、ムキムキの筋肉質でヒゲまで蓄えているのに唇には真っ赤な口紅を塗り、オカマっぽい口調で口元に手を当てて「コココ」と笑うある意味、キワモノキャラなんです。
しかし、そんな王騎将軍は、いざ戦場となると凄みを発揮して敵を恐れさせ、味方を引っ張る、頼りになる兄貴(アネゴ?)ぶりを発揮します。
王騎将軍:「この死地に力ずくで活路をこじあけます。皆の背には常にこの王騎がついていますよ」
この一言で崩れかけた秦軍は勇気100倍、何度も劣勢を跳ねのけて敵を粉砕してきたのです。
さて、そんな王騎将軍、どうせキングダムだけに登場する架空の武将だと思っていませんか?
いえ、これが面白い事にちゃんと実在するのです。
王騎は史実に存在していた
王騎について記したのは、あの前漢時代の歴史家、司馬遷(しばせん)です。おっ、ちょっとだけ三国志に近づいてきましたね(笑)
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王騎将軍の履歴は秦始皇本紀に記されている
王騎将軍は、秦始皇本紀に出てきます、折角ですからその履歴を書いてみます。
・紀元前257年(昭襄王50年)、趙の邯鄲を包囲した
・紀元前247年(荘襄王3年)、 韓の上党を攻めて太原郡をおいた。
・紀元前246年(秦始皇元年)秦王政が即位すると蒙驁(もうごう)
麃(ひょう)公と共に将軍に任じられる
・紀元前244年(秦始皇3年)同僚の蒙驁が韓を攻め十三城を取るも同年に死没。
はい以上です、王騎将軍に関する記述はこれだけ、、あんまりにも、寂しいですよね?これで、天下無敵の将軍は話を盛り過ぎです。
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王騎の同一人物、王齕(おうこつ)ってどんな人?
しかし、面白い事に王騎と同一人物だったかも知れない王齕(おうこつ)という将軍も歴史には確認されています。彼の略歴は、秦本紀に書かれ、秦始皇紀には登場しませんが、その内容は、王騎よりも、もう少し複雑で多彩です。
・紀元前260年(昭襄王47年)趙を討って上党を取った趙も反撃してきたので、秦は内密に白起(はくき)を増援させて上将軍とし、王齕をその副将とした、長平の戦いでは、趙を大いに破った。
・紀元前259年(昭襄王48年)白起に代わって将として趙の武安君を討ち皮牢を取る。
・紀元前258年(昭襄王49年)王陵(おうりょう)が趙の邯鄲を攻めて増軍した戦況が思わしくないので王齕が代わって将となる。
・紀元前257年(昭襄王50年)、邯鄲を攻めたが落とせないので、汾(ふん)城郊外の秦軍と合流した。
その後、魏を攻め首を斬ること6千名。魏軍は敗走し、黄河で2万人が流れ死んだ、汾城も攻め落とし張唐(ちょうとう)に従って寧新中(ねいしんちゅう)を抜いた。
・紀元前247年(荘襄王3年)、韓の上党を攻めて、太平郡をおいた。魏の信陵君が五カ国連合軍を率いて秦を攻めてきたのを蒙驁と迎え撃ったが敗れた。秦軍は河内から河外(河南の地)に退却し、その軍を解散した。
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王騎と王齕
時期的に、重なる戦歴が多い事から、後世の歴史家は、王騎と王齕を同一人物として見ていますし、王騎の本字は「王齮」で偏も同じなのです。
これを見ると、王齕は、秦の名将、白起(はくき)の副将として長平の戦いで趙を破り趙の武安君を討ち、魏を破ったり、韓の上党を攻めて太平郡を置いたり大活躍をしている事が分かります。恐らくキングダムの王騎のイメージの半分は、この王齕でしょう。
つまり、キングダムにおける王騎の強さは決して創作ではなく、実在の人物に裏打ちされたものなのです。もっとも、口紅を塗ったり、オカマキャラだったり、「コココ」と笑うというのは創作なんですが・・(笑)
王騎将軍はどうやって死んだの?
キングダムならではのキャラ設定と言えば、王騎将軍の命を奪う憎っくき役柄に、趙の三大天、龐煖(ほうけん)がいます。キングダムでは、超然とした武神で、己より強い人間を認めないという信念だけで動いている野獣のような龐煖ですが、史実ではあんな感じではありません。
龐煖の史実 武神は実在したの?
実在する龐煖は、趙ではなく、燕国の哲学者であり、軍学者であり、縦横家であり、弁論家でもあった、マルチな才能を持つインテリ将軍だったのです。その性格もキングダムのような人を寄せ付けない雰囲気ではなく趙の将軍である劇辛(げきしん)は、龐煖を親しみやすい性格と評しています。キングダムとは、まるで真逆な性格だったのです。
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王騎将軍の最期
さて、キングダム一部では、龐煖の一撃で致命傷を受けて、自分の後を主人公、信に託して死んでしまった王騎将軍。今でも、キングダムファンに惜しまれ、原作者の原泰久でさえ、歴史の都合とはいえ、どうやったら王騎が死ぬのか分からないとまで言わせしめた、武の巨人、その人気は没後も不滅のようです。
王騎将軍を三国志で例えると?
三国志で例えて言えば、猛将呂布に、張遼の義理難さを思慮深さを加えたそんな将軍が王騎じゃないですかね。
「コココココ・・・・・」
意外、実は王騎の先祖は周の王族だった?
王騎は、秦に代々仕えている、王氏の傍流の家系なのだそうです。つまり、王翦や王賁が本家で、王騎は分家という事になります。その王氏、実は、先祖を遡ると周王室の太子にまでたどり着きます。王騎は、太原王氏という一族なのですが、その始祖は、周の24代霊王の太子で姫晋(きしん)という名前で、字は乔(かい)皇太子なので太子晋(たいし・しん)と呼ばれました。
彼は聡明な人物でしたが、寿命には恵まれず、父よりも先に、紀元前549年に16歳で死にます。周の王位は、次男の姫貴が継いで、景王として即位します。すると、景王は、兄の太子晋の息子の姫宗敬(き・そうけい)を登用し、彼は周の司徒として高位に昇り仕えました。しかし、その頃から諸侯同士の争いは激しくなり、周の勢いは衰えるばかりでした。王朝の没落を悟った宗敬は、周の役人を辞めて、晋陽という都市に行きそこで病死します。
周を見限ったので、姫姓を使う事がなくなり、代わりにかつては、周の王族だったという意味で、王姓を名乗るようになったそうです。その後の晋陽の太原王氏からは、著名な人が続々でるようになり、初代の太子晋から数えて、18世が王翦にあたるとの事・・
こうして、考えると王翦が王位を狙うのは・・「俺だって、元をたどれば秦の本家筋にあたる周の王族なんだぜー」という密かな自負心があるせいでしょうか・・
王騎の年齢は?
王騎の年齢については、具体的な事は分かりません。紀元前244年に同僚の蒙驁が韓を攻めて13城を攻め取るも同年死没と書かれているので、紀元前244年が死んだ年です。しかし、初めて史書に出現するのが、紀元前257年であり、この時には、趙の邯鄲を包囲していますから、すでに大将軍だったと考えていいのだと思います。
王騎程の強さがあれば、20代で大将軍でも問題なさそうですが、万単位を率いるとなれば、30代後半位が妥当と考えて、生年は、紀元前292年と仮定して、紀元前244年没なら、48歳で没したという考えはどうでしょうか?アニメ版の王騎は、40代位に見えましたから、そんなにズレていないと思いますがいかがでしょうか?
王騎の声優は誰?
漫画でもオカマ口調が特徴的だった王騎将軍ですが、それはアニメ版でさらに強調されました。アニメキングダムの声優は小山力也さんで、野太い男らしい声なのに100%のオカマ口調というギャップがファンのハートを掴みました。kawausoも王騎の声では小山さんがお気に入りですね。小山力也さんは、王騎以外にも、名探偵コナンの毛利小五郎(二代目)蒼天航路の呂布奉先の声も担当しているようです。小山さんは、洋画でも活躍していて、ジョージ・クルーニーや24のジャックバウワーの声も担当していますよ。いずれもブラックコーヒーが似合う渋いキャラクターばかりですね。
春秋戦国時代ライターkawausoの独り言
実は、王騎の子孫である太原王氏の末裔は日本にもいるそうです。それが、欽明天皇の時代に五経博士として大陸から大和朝廷に帰化した方々で、子孫は河内国交野郡および錦部郡の山田郷に本拠地を置き山田の姓を与えられたとの事です。
そう!このページを見ている、全国の山田さん!!あなた、実は遠い先祖が王騎大将軍に繋がっているかも知れませんヨォ・・
コーッコッココ!!!
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